ゆとり教育批判が求めるゆとり教育

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ゆとり教育批判論には、こういうものが目立ちます。

学校が十分教えないから塾で補わないといけない
  ↓
子どもが忙しくなる

その結果、子どもは創造性や応用力を育成することなく、結果を出すことに忙殺されてしまいます。これは由々しき事態です。学校で十分な内容を教えさえすれば、子どもは余裕ができるはずで、教科書以外の様々な学びや遊びに打ち込めるはずです。

あれ? なんかおかしい。ゆとりをつくるはずのゆとり教育が子どもたちからゆとりを奪い、ゆとり教育批判論がゆとり回復をめざしている? 何のことはない。ゆとり教育批判論がめざしているのはゆとり教育そのものではないか。では、なぜゆとり教育をめざすためにゆとり教育を批判(否定)せねばならないのか。文科省と教育現場の乖離が諸悪の根源でしょうか。

現場では骨身を惜しんで奮闘されている先生方も多くいらっしゃいます。それをわかった上で申します。学習指導要領には、最低限だけ記されていて、あとはいくら上乗せをしてもよいというのが、ゆとり教育でした。本当に自由ですし、先生方がどのようにおしえてもよかったはずです。なのに、現場は大混乱。

教育現場というものは、マニュアルで規定されねば動けないものなのでしょうか。ある意味、最もゆとり教育が必要だったのは、教育現場(教育委員会と先生方)なのではなかったでしょうか。

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