教育委員会へ提出した文書5 ホームスクーリングの課題

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 教育の責任主体を学校にゆだねるのが「学校教育」であり、家庭にゆだねるのが「ホームスクーリング」である。
 すべての家庭が教育の責任主体たりうることは理想であっても現実には著しく困難である。公教育は、それがいかなる重大な瑕疵を包含していようとも、その存在は必然であり、何人も否定できない。
 が、公教育の存在必然性が、教育の責任主体たることを望む家庭の責任主体としての位置づけを否定するなら、公教育がいかなる家庭をも上回る理念と実践とを有しておらねばならず、それもまた現実には不可能である。
 公教育の瑕疵・不足を認識する家庭が自ら教育の責任主体となることを法令は禁じてはおらず、むしろ、改訂・教育基本法にあっては奨励さえされている。
 そのさい、責任主体となる家庭が文部科学省が掲げる方針を逸脱し、公教育にはるか及ばぬ結果に帰結したとしても、その責任はすべて家庭に帰せられることは当然の道理であって、責任を負えない家庭が主体となることを軽率に望んでならぬことは、「児童の最善の利益」を主とすることを定めた子どもの権利条約に照らして明白であり、国内諸法においても、まったく違背しない。が、家庭に求める責務は同等に公教育においても求められるものであり、当該家庭より「児童の最善の利益」を実現しうるかどうかが、公教育の家庭に比する優位性を決定しうる最第一の要因であり、公教育がそのような保証をすべての家庭においてなしうることは公共の概念からして適切とは言えず、家庭の補完的立場にとどめるべきである。

 上記の結論をもってして、家庭における教育責任主体は重視されるべきであるがその責任は重大であり、不断の努力と不屈の邁進が要請されることは言を待たない。その責任はまさに国家や行政に転嫁することは許されず、家庭が全面的に追うべきであり、たかだか人間にすぎない家庭(具体的には父母等の保護者)が負うには現実的と言えず、社会的支援が要請されるところである。その文脈からすると、公教育とホームスクーリングとは対立すべきでなく、相互補完的であるべきで、新・教育基本法第13条において、明文化されているように、協調的である必要がある。

 ホームスクーリングにおける手法は暗中模索であるが、教育とは失敗の許されぬものである。子どもの経過年齢は、再現不能である。常に児童にとっての最大の利益を鑑み、どのような修正や転換をも甘受することを、ホームスクーリングを決意する家庭は認識せねばならないし、公教育・行政もまた、認識せねばならないことである。

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