2008年4月アーカイブ

さてさて、2歳、4歳、7歳を抱えて、突然の父子家庭。入院した日は病院たらい回しの刑に合い、遠方に飛ばされる寸前で○○○病院へもぐりこむことに成功し、2つ目の病院で医療崩壊の現状を切実と語られ、リリコ出産時とはまるで状況が変わってしまったことを思い知り、それでもなんとか奇跡的に医療難民を避けられて、ほっとしましたが、「明日からどうなるんやろ・・・」と不安がよぎったりもしましたが、不安に駆られていられるほど悠長な状況でもありません。

深夜に2歳、4歳、7歳を連れて帰ったパパは、さっそく明日のご飯をセットして、子どもたちの弁当の確認をして、布団を敷いて、2歳、4歳を着替えさせ、2歳のおむつを替え、寝たと思ったらもう朝で、子どもたちをたたき起こして着替えさせ、おむつを替えて、洗濯して、布団をたたみ、とりいれた昨日の洗濯物(山の上は寒いので、冬季には洗濯は室内干しです)を、子どもたちにたたませて、朝食つくって、昼食作って、弁当詰めて、さあ、子連れ出勤です。子どもたちは別室にいさせましたが、なかなかおとなしくもせず、室内で騒いだりケンカしたり、外へ出て遊んだり。なかなか仕事になりません。

夜帰ると、子どもたちを風呂に入れて、乾きかねる洗濯物を乾燥機にかけたりストーブであぶったりし、布団を敷いて、台所を片づけて、着替えさせて、本を読んで寝させて・・・

2日目からは、職場で子どもたちも昼食、夕食をお世話になることとなり、少し楽にはなりましたが。

とうぜんながら、勉強などどこかへ飛んでいます。日々、生きることが最優先です。勉強みたいなもん、ほっておけ!!という感じです。ママがいると、子どもたちはなんとなく甘えて、できることもママにしてもらいがちですが、父子家庭でそれをやられると、パパはどないもなりません。子どもたちもよくわかっていて、というか、わからざるを得ない状況で、2歳児は着替えもおむつも風呂も自分ではできないので、4歳、7歳は自分でしろよな、って暗黙の圧力があり、パパが号令をかけると、子どもたちはさっと行動するようになっていきました。

「勉強」なんていう言葉はどこにもありません。生きることと関係ないものは棚上げです。え? 勉強は生きることと関係ない? そうなのかもしれません。

最初の週末、12月8日(土)、おむつを買って、ママの身のまわり品を買って、病院へ行き、洗濯物を受けとって、下着などを買い足して、パパが倒れては大変なのでインフルエンザの予防接種をして、子どもたちの本やあれこれ買って、夕食は外食で、家に帰るとパパはダウン。知らんまに子どもたちが布団敷いて、助け合いながら着替えて寝ていました。

翌日、朝起きて、ママの洗濯をして乾燥機にかけたけどなかなか乾かず、ストーブであぶったりなんなりして、もちろん子どもたちにご飯食べさせて、夕方病院へ。子どもたちはママと会えるのがうれしい様子。夜遅く帰ってあれこれ用事して寝たら、またまた朝起きてごはんして洗濯して子連れ出勤。

子連れ出勤も、1週間が限度でした。12月11日(火)、夜、大阪の私の親へ頼み込んで、ばあばに来てもらうこととしました。夜9時から子ども3人連れて大阪へ走り、ばあばを連れて、2時半帰宅。

12日からは、子どもたちはばあばと家で過ごします。ご飯と洗濯は私の手を離れて楽になりましたが、子育ての全部をばあばにいきなりまかせることもできず、夜帰宅してから、子どもたちがパパに飛びついてくるのを相手しつつ、おむつを替えたり、風呂に入れたり、ケンカの仲裁をしたり、本を読んだり・・・

金曜日の夜、大阪へ走り、ばあばを届けてそのまま深夜に帰り、土曜日、病院へ行って、洗濯物を受け取り、日曜日に仕上げて病院へ持っていき、そのまま大阪へ行って、深夜にばあばを連れてくる、というサイクルができました。

ところで、わが家の子たちは、サンタクロースを信じています。今までは、ママサンタクロースが、そっと通販でプレゼントを買って、12月24日夜、枕元に置いておいたのですが、今年はどうやら、そういう演出ができそうにありません。

「今年はママが大変なのでサンタさんに遠慮してもらった」って言おうか、とナナと話したりもしましたが、どうもそれは大人の勝手です。

ゴン太にそっと打ち明けました。
「サンタクロースはな、じつはな、パパとママやねん」
ゴン太は、なかばわかっていたようでもあり、チャコとリリコにサンタクロースの正体を伏せて、協力を求めると、ゴン太は快く承諾。大阪へばあばを迎えに行ったついでに、パパが行方不明となってトイザらスでプレゼントを買って、車の下に隠しました。

12月24日(月、振替休日)には、ナナの側のばあばが埼玉から来てくれて、ばあばチェンジです。25日朝、子どもたちが目覚めると、ちゃんとサンタさんが来てくれていました。子どもたちは無邪気に大喜び。この顔が宝なのよね。これがあるからこそ、どんな試練だって、耐えられる・・・

29日(土)、病院へ行き、主治医と話しましたが、逆子が直らないため退院はできず、このまま病院で正月を過ごすこととなります。1月7日で37週に入り、出産可能となります。4人目なので自然分娩も可能だろうが、逆子の場合、いっぱい機械をつけて万全の体制をとらねばならないこと、帝王切開の方が無難であることを説明され、不自然な自然分娩にこだわる理由はなく、とにかく母子の安全が第一なので、切っちゃってくださいと、ナナも私も迷わず希望しました。

ただ、主治医は、37週に入っても、できるだけ長くお腹にいた方がいいとおっしゃいましたが、予定日は1月28日ですし、3週間がこれほどまでに過酷だったのにこの先1カ月も持ちこたえられるだろうかと、私は呆然としました。

29日、病院から出て、そのままばあばを駅へ送り、埼玉へ帰っていただきました。さあ、またまた父子家庭の再来です。(週末のたびに父子家庭でしたが)

大掃除? そんなもの、今年はおまへん。わが家に正月が来るのは赤ちゃんが無事生まれてからです。年賀状も手をつけていません。赤ちゃんが生まれてから、考えます。

1月1日は大阪へ行き、私の両親と対面しました。そのすぐそばにトイザらスがあり、ゴン太とチャコはお年玉を使って自分でおもちゃを買いたがり、金額の範囲内で選ばせ、さらに福引きをしたいというので、500円でそれぞれさせると、チャコが1等賞!!!!! 25品ほど入った、チャコより大きな袋を受け取りました。縁起がいいのか、運を使い果たしたのか・・・

1日夜、病院へ行くと、さっそくママへ報告。

パパはだいぶと疲れがたまってきて、2日は頭がガンガンして寝込みました。そうはいっても、ご飯、おむつ、洗濯はこなします。3日、病院へ。ママとお腹の赤ちゃんが第一なのは当然として、それでもここでパパが何事かあるとどうにもならないので、できるだけ早くだしてもらいたいと私はとうとう根を上げました。

ナナも心配を募らせていましたが、どうにもできません。

それがお腹の赤ちゃんに聞こえたのか、4日にはお腹が張り始めました。主治医は、7日に帝王切開の予定を決めようと言っていましたが、5日に前倒しとなりました。

5日の午前3時ちょうどに、病院から電話があり、生まれそうだとのことです。帝王切開かどうか、私に判断を求めましたが、帝王切開が間に合わないほどお産が進んでいるようで、「どのようなものであれ病院の最善の選択に同意します」と答えました。

リリコの出産時に徹夜で立ち会って、帰りに新車をぶつけた苦い過去があるので、今回は自重していったん寝て、6時ごろ起きて、子どもたちをたたき起こし、すぐに家を出て、病院へ向かいました。

生まれたかどうかもわかっていませんでしたが、途中でナナに電話すると、無事に生まれたとのこと。8時に病院へ着き、元気な赤ちゃんを確認しました。帝王切開を予定していたのに、帝王切開手術の準備が間に合わないほどするすると出てきて、ほとんど医師が手を添えることなく、赤ちゃんが自力で、足から、すぽん!と参上したそうです。パパを困らせてはならんと思ったのでしょうか。4人目は大ハプニングでありながら、最も安産でした。

上3人は、立合出産でした。ゴン太は、チャコとリリコの出産を見ています。チャコはリリコの出産を見ています。リリコの出産時は、すべてをビデオ撮影しています。今回は、だれも出産を見ていません。それでも、赤ちゃんの誕生がいかに尊いものであるか、子どもたちもひしひし感じたと思います。

赤ちゃんは逆子であるのにこれ以上ないほど安全な生まれ方をしたし、ママも元気だし、ゴン太もチャコもリリコも元気に赤ちゃんの誕生を祝っているし、パパもなんとか持ちこたえたし、すべてが一番いい結果でした。

ゴン太の勉強? 野暮なことは言いなさんな。命を感じる以上の勉強なんて、ありますか? 千尋の谷とはいかなくても一尋の谷から突き落とすごとき自立ほど、優れた勉強はありますか?

父親として、子どもたちには、感謝の言葉しかありません。ゴン太とチャコとリリコには、何度も何度も何度も何度も何度も何度も、ありがとうと言いました。そして、父親として至らぬところが多々あったことを、詫びました。そんな父親でも、子どもたちが力を合わせてカバーしてくれたことをあらためて思い、子どもたち1人1人を抱きしめました。

翌6日には、埼玉からじいじとばあばが来て、大阪からもじいじとばあばが来て、病院でご対面。双方の親は高齢にかかり、遠方でもあり、なかなか顔を合わせることが難しくなってきましたが、いい機会です。わが家の子たちは、どちらのじいじとばあばにも同じようになつきます。急に入れ替わっても平然としています。

わが家はめでたいムード一色でしたが、7日(月)から、私は仕事へ戻ります。9日(水)、昼間時間をもらって、退院です。37週に2日足りなかったため、微妙に早産です。大人の都合で出てきてもらったようなものですが、生命とは、微妙なものです。早産は、おっぱいを吸う力が弱いことにつながります。トウコは、出産後の体重回復が芳しくなく、赤ちゃんを残して母だけ退院という可能性もありました。そうさせてはなるものかと、ナナが母乳を絞ってほ乳瓶で飲ませ、基準体重をクリア。母の愛は強し。

あ、テーマは、ホームスクーリングなのですが、どっか行っちゃってますね。どこ行っちゃったんだろう? 次回に探すことにします。

学校に行かせるのも親のエゴといえばエゴだし、学校に行かせないのも親のエゴといえばエゴだし、子育て全般にも言えることだけど、子どものためにいいことをしている・・と勘違いするのではなく、何をやっても親のエゴなんだ・・ということを自覚して子どもに接しないと歯止めがかからなくなると思います。

親が子どものためと思っていいことをしているつもりでも必ずしもそれがその子にとって必要なこととは限らない。逆に、子どもにとっては一見過酷な状況に見えたとしてもそれがその子の将来にとってはプラスになることもあるかもしれない。。

自分が子どものために「いいはず」だと思っていても子どもから少しでも『違う・あわない』という反応があるのであれば、軌道修正するような余裕は常に持っていたいと夫婦でいつも話しています。

ねじりはちまきで徹夜を続けて勉強しないと東大や京大に合格しないと思っている人が多いと思いますが、私は現実にはそういう人を知りません。もしそのような人が実際にいるなら、特殊な能力をもっていると思います。なぜなら、そのような勉強の仕方は著しく非効率であり、非効率な方法で結果を出すというなら、きっとスーパーマンに違いありません。

仕事にしろ、勉強にしろ、労働量を増やすことで、ある程度まで生産力は向上します。しかし、「ある程度」を超えれば、労働量を増やすほど生産力が低下していきます。しなければいけないが、しすぎてもいけない。では、制限なき向上をしていくには、何が必要なのか。モチベーションでしょう。たとえば「めざせ東大!!」などという張り紙は、モチベーションではありません。それは、自らを追い詰める強迫です。モチベーションとは、それをせずにいられない思い、知らない間に夢中になっている感覚、そういうものを成り立たせている基盤をいうはずです。

教育は、強迫であるより、モチベーションである方が、望ましいはずです。
強迫は、危機駆動型です。「勉強しないと、落ちこぼれる、取り残される」
モチベーションは、希望駆動型です。「なんて楽しいんだろう! あれ?知らんまに勉強していた」
学力を向上させるには、勉強時間を増やしてもしょうがないです。むしろ逆効果でさえあるでしょう。モチベーションこそ、増大させねばなりません。

と、私は充分にわかっていましたし、モチベーションの増進が学校教育が苦手とする部分であることも了解していますし、ホームスクーリングにおいて、最も重点を置かねばならないポイントだと考えていました。

そこで、ゴン太が1年生になる前後に、多様な図鑑や読み物をたくさんそろえ、どんな興味にもなんらかの手がかりをみいだせるよう、環境整備しました。ゴン太が2歳の頃から、ベネッセの通信講座を毎月購入していましたが、ゴン太の強い希望によって、小学1年生用の「チャレンジ1年生」も購読しました。

ただ、「読み書きそろばん」に当たる部分は、スポーツで言うところの基礎体力作りでしょうし、それらは毎日トレーニングを重ねる必要があると、私は考えました。日本の童話を薄くプリンタで印刷して、なぞって書く練習。漢字のドリル。私が表計算ソフトで作成した計算シート。これらを日課としました。強制はいけません。
「しなくてもいいけど、したほうがいいよ」と、おかしな理屈でゴン太に接しました。
しなくても、怒りません。
「今日、勉強した?」
「しなかった」
「あ、そう」
こういう会話がなされる日も多かったです。

でも、ゴン太は、しないといけない気がして、無理に勉強することも多く、勉強がいやでいやでたまらないと愚痴るようになっていきました。「いやならしなければいい」と言っても、それがよけいに強迫的に聞こえるようでした。

とはいえ、課題を全部こなしたとしても、2時間弱ですし、学校に行くことを思えば、うんと学習時間は短いはずです。計算も漢字も、まずまず身についていきました。

だとしても、ゴン太は、いやでいやでしょうがありません。こんなことでは、学校に行っても、多衝動児であるとか、落ち着きがないとか、問題視されそうですし、ゴン太自身、枠にはめられて苦しみつつも持ち前の特性を押し殺していく、ということになりそうです。それが、成長なのだ、と説明されるでしょう。集団生活なのだ、社会性なのだと、説明されるでしょう。

出る杭にならねばならないのに、出る杭を育てなければならないのに、出る杭を打ちのめしてしまう。それが美徳なのでしょうね、日本という沈み逝く島国では。

そうなっては子どもに未来を与えられないので、そうならないよう、「勉強がイヤだ」という気持ちを尊重して、勉強しなくてもいいよといいながら、それでもトレーニングは大事なのだと醜い矛盾をつのらせていました。

いつの間にか、「勉強したらテレビをみてもいいよ」というルールができていて、ゴン太はテレビを見たい日だけ勉強し、見たいテレビのない日は堂々と勉強しないという、動物調教型になっていました。

勉強しなさいというのはよくないが、勉強しなくてもいいよと言ったら子どもは勉強なんかしない。かつて、サマーヒルを批判した「常識人」たちと同じ論理を私も踏襲していました。

あきらかに、ゴン太にとって勉強はストレスであり、それとつきあうナナにとってもストレスとなっていました。ストレスとストレスの衝突で、ゴン太は勉強の成果をママでなくパパに見せるようになっていきました。

そんなこんなで12月4日、突然、ナナが切迫早産&逆子を理由に入院を指示されました。たいがいのことが想定内である私にとっても、まったくの想定外であり、さてさて、明日からどうしたものやら・・・。7歳、4歳、2歳の子を抱えた父子家庭・・・。

絶体絶命のピンチです。するとそこへウルトラマンが・・・来るわけもないし、どないかこないかして、生きていくしかありません。
危機駆動型 逆噴射 希望駆動型。
第二フェーズの予告をして、今日はおしまい。

生涯学習のある研究会の懇親会の席で、私は「生涯学習をベースにしたホームスクーリングをやっていこうと思います」というと、1人の先生が、「何年か前に、生涯学習をベースにしたホームスクーリングを調査しようとしたけど、そのような実践例がありませんでした。お宅の取り組みに注目します」とおっしゃいました。

「生涯学習をベースにしたホームスクーリング」というのがどのようなものであるかわからないまま私は軽率に言ってしまったのですが、その先生は明確にそれを対象と規定していらっしゃったわけで、それは、漠然とした観念を超えて、なんらかの実態を伴う取り組みとなりうるものであると、了解されます。このことが、ずっと引っかかり続けています。

欧米先進国では、ホームスクーリングはほぼ公認されており、ホームスクーリングが禁止されているのは、ヒトラー時代の制度が今なお残っているドイツと、韓国ぐらいなもので、ドイツは、国連からホームスクーリングを認めるよう勧告されています。日本は、禁止も公認もしていない法的未整備状態です。韓国はホームスクーリングが認められていないながらも、ホームスクーリングを処罰した事例もないようです。ただ、韓国には徴兵制もあり、就学義務について、日本より厳しく考えられているようです。ドイツからは、ホームスクーリング希望者が他国へ亡命(といってもいいでしょう)しています。教育の多様性という観点では、日本、ドイツ、韓国がおくれを取っています。ドイツは国連の勧告を受けて制度が変わるのではないかという観測もあり、そうなると、日本がいよいよ取り残されていくこととなります。
ところが、日本でも、教育再生会議や中央教育審議会の議事録を拝見すると、文科省レベルではすでにホームスクーリングを公認する流れがあるようにもうかがえ、そう悲観することもないかもしれません。

日本の教育で、最も深刻なのは、学校神話ではないかと思っています。10年ほど前、私は不登校の現場(親の会、フリースクール、不登校児の家庭教師、オルタナティブ教育のネットワークなど)を精力的に渡り歩きましたが、どうにも不思議だったのが、「ただ学校に行っていないというだけで、なぜそこまで苦しむのか」ということでした。不登校当事者の苦しみは、壮絶です。不登校児がいる家庭は修羅場となりがちです。苦しむ原因は何なのか。不登校児は、実際に会ってみると、社会性が欠如しているわけでもなく、学力が劣っているわけでもなく、性格や人格に問題があるわけでもない場合がおおいです。なのに、不登校児に対してカウンセリングや心理的治療が施されている。なんか、変です。

そのうち、気づいたことがあります。教育は権利であるのに、義務だと思っている人が、あまりに多すぎます。義務教育を「学校へ行かなければいけない」と勘違いしている人があまりに多すぎます。権利を保障することが義務であるのに、義務の内容をはき違えています。そのことが、深刻な悲劇を生んでいます。不登校児の苦しみは、学校神話から生じるのだと言ってもいいでしょう。学校神話から離れるなら、苦しむ原因は消滅します。

学校は、ナショナルミニマムとして、国家を維持していく上で不可欠です。しかしそれは、ミニマムであって、オールではありません。共産主義ならいざしらず、民主主義国家において、公教育がオールであることは、国家の発展を妨げます。

日本で学力低下が進行しているのは、ゆとり教育が悪いのではなく、制度が時代遅れとなり、硬直化してしまっていることが原因だと私は考えています。

しかしこれは、制度だけの問題ではありません。日本人のDNAに深く浸透した学校神話が、あまりにも堅固で、強大です。そのことに私は危機感を抱いています。日本で学校へ行かせることは、現時点では、日本の標準であっても、世界の標準ではないと見ています。日本の国力は、今後ますます衰退していくと予想されますから、日本の標準は、世界的な地位をどんどん後退させていくでしょう。はたして、それが子どもにとって幸せなのか? 親として責任を果たすことになるのか?

こう考えて、せめてわが子だけでも沈み逝く船には乗せたくないと、ホームスクーリングを選択した私ですが、私も日本人、そのDNAにしっかり学校神話が刻み込まれていました。

我が家のメソッドの第一フェーズは、沈没を察知したネズミが沈み逝く船の甲板を走り回るという、呉越同舟とでも言えそうな状態でした。

それはまた次回に。

仙の森の渓谷コースは、ロープで上ったり下りたりするような、難関コースです。昨年秋、ゴン太を連れて行ったときには、そうとう緊張しましたし、走破したときには、感動のあまりゴン太を抱きしめました。なのに、今年3月には、チャコを連れて行くこととなりました。そして、チャコもまた、私が手を添えたとはいえ、走破しました。「あの」アドベンチャーワールドの渓谷に4歳のチャコを連れていったのは、チャコが強く望んだからでもありますが、私自身がリスクを理解したからでもあります。

昨年7月31日、信楽小学校の児童が、四万十川で水死するという痛ましい事故がありました。「集まれ野生人」という6泊7日のキャンプ事業ということで、なかなかいい取り組みではないかと思うのですが、現場の写真を見ると、厳しいコメントを発せざるを得ません。

この川で子どもを泳がせるなど、言語道断です。甲賀市は、事故を受けて、マニュアルの作成と、指導者の講習受講を定めましたが、ちょっとピントがずれているように思います。自然は変化自在ですし、マニュアルでは対応できません。目の前の状況を、経験と勘で判断し、最適な対応をしなければなりません。必要なことは、指導者が様々な危険を経験することと、危険のケースごとにケーススタディを蓄積することでしょう。

渓谷のリスクは、「落ちる」ことです。落ちるリスクは、それ以上落ちない底があります。底を考えることで、リスクヘッジができます。

川のリスクは、流れと深さが限度を超えれば無限リスクとなります。事故現場の写真は、川底が見えず、流れもかなりのものです。これを見て、無限のリスクを感じないことが問題です。流れのない場所で子どもがおぼれたとき、助ける方法がないわけではありません(時間制限がありますが)。流れのあるところでおぼれたら、助けに行けません。長時間たってから助けても意味ないのです。スタッフの手の届かないところへ、瞬時に行ってしまうというのが、無限のリスクです。リスクヘッジのしようがありません。

自然に対する経験と勘は、数値ではかれるものではなく、資格にしうるものでもありません。目の前の自然が含有するリスクがどのようなものであるかを見極めること、そのリスクを回避、あるいは軽減する方法はどのようなものがあるかということ、そういう感性が、生きる力そのものではないかと思います。

さてさて、前置きが長くなりました。
3月某日、村教育委員会の次長が、私のいない間(昼間)、わが家へ来ました。
「お気持ちに変わりありませんか?」
ナナ「今の生活に満足しています。気持ちに変化があったらこちらから相談に行きます」
次長「ああ、それは1年前にも聞いていますが、一度も足を運ばないのも・・・」

という決まり切った問答をして、そそくさと帰って行かれたそうです。教育委員会は、就学の督促をしないとまずいので、まったく無意味とわかっていても、いちおう、パフォーマンスします。わが家も、無意味なパフォーマンスとわかっていますが、教育委員会を困らせてもしょうがないので、演劇のごとく、てきとうにおつきあいしています。

次長が帰ってから、ゴン太が聞いたそうです。
ゴン太「今の人、だれ?」
ナナ「教育委員会の人だよ。ゴン太に学校へ行かないかって、誘いに来たの。ゴン太は学校へ行きたい?」
ゴン太「ぼく、学校へ行きたくない」

普通の親なら、子どもが困ったことを言い出したと悩みそうですが、わが家では、子どもがすくすくと育っていることににっこりです。

ゴン太が学校へ行きたくないと意思表示したのは初めてです。ホームスクーラーの中には、子どもが学校へ行きたいと言ったら困るという人もいます。私たち夫婦は、子どもが学校へ行きたいと言ったら学校へ行かすことを検討する気でいます。(その「学校」は近所の小学校とは限りませんが)

ゴン太が学校へ行きたくないと言ったのを喜んだのには、わけがあります。実は、私たち自身、何が子どもにとって最良の教育か、わからないままホームスクーリングにのぞんだのです。ナナの入院を契機に、ホームスクーリングの第二フェーズへ進みました。あらためて、そのことを綴ってみます。

ホームスクーリングもまた、世間の標準と信じられていることと違う世界へ踏み出すのですから、リスクを負うはずです。リスクがあるから避けようというのは、安全に見えて、実は危険です。リスクを知らないことは、さらなるリスクだからです。最良の安全は、最適なリスクヘッジです。リスクヘッジなきアドベンチャーは、自殺行為です。

ホームスクーリングそのものは、正しいことでもなく、間違ったことでもありません。自然は、悪魔でもなく、神様でもありません。究極の中立公正です。しかし人間は、自然を悪魔と見たり、神様と見たりします。自然は、人間にとって大きなリスクです。リスクをヘッジすることこそが、安全です。学校教育が、流れに身をまかせることならば、ホームスクーリングは流れをヘッジすることでしょう。
前回のカキコから、かなり間があきました。あまりに多くのできごとがあり、ホームスクーリングに転機が訪れて、記述をしかねていたのです。ここらで、ホームスクーリングの1年目をふりかえり、この1年が何だったのかをまとめておくことは重要だと思います。

1年目の転機は、何をおいても、第4子出産です。今年1月5日のことでした。その前後において、わが家のホームスクーリングは大きく変わりました。子どもにとってもそうですが、親にとってもそうです。親子とも、成長をなした1年でした。

わが家の家族は、妻(ナナ)、第1子(男、7歳、ゴン太)、第2子(女、4歳、チャコ)、第3子(女、2歳、リリコ)、第4子(女、0歳、トウコ)、そして私の6人です。

次回から、少しずつ、書いていきます。

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