1年目のまとめ(2)日本人に根付いた学校神話

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生涯学習のある研究会の懇親会の席で、私は「生涯学習をベースにしたホームスクーリングをやっていこうと思います」というと、1人の先生が、「何年か前に、生涯学習をベースにしたホームスクーリングを調査しようとしたけど、そのような実践例がありませんでした。お宅の取り組みに注目します」とおっしゃいました。

「生涯学習をベースにしたホームスクーリング」というのがどのようなものであるかわからないまま私は軽率に言ってしまったのですが、その先生は明確にそれを対象と規定していらっしゃったわけで、それは、漠然とした観念を超えて、なんらかの実態を伴う取り組みとなりうるものであると、了解されます。このことが、ずっと引っかかり続けています。

欧米先進国では、ホームスクーリングはほぼ公認されており、ホームスクーリングが禁止されているのは、ヒトラー時代の制度が今なお残っているドイツと、韓国ぐらいなもので、ドイツは、国連からホームスクーリングを認めるよう勧告されています。日本は、禁止も公認もしていない法的未整備状態です。韓国はホームスクーリングが認められていないながらも、ホームスクーリングを処罰した事例もないようです。ただ、韓国には徴兵制もあり、就学義務について、日本より厳しく考えられているようです。ドイツからは、ホームスクーリング希望者が他国へ亡命(といってもいいでしょう)しています。教育の多様性という観点では、日本、ドイツ、韓国がおくれを取っています。ドイツは国連の勧告を受けて制度が変わるのではないかという観測もあり、そうなると、日本がいよいよ取り残されていくこととなります。
ところが、日本でも、教育再生会議や中央教育審議会の議事録を拝見すると、文科省レベルではすでにホームスクーリングを公認する流れがあるようにもうかがえ、そう悲観することもないかもしれません。

日本の教育で、最も深刻なのは、学校神話ではないかと思っています。10年ほど前、私は不登校の現場(親の会、フリースクール、不登校児の家庭教師、オルタナティブ教育のネットワークなど)を精力的に渡り歩きましたが、どうにも不思議だったのが、「ただ学校に行っていないというだけで、なぜそこまで苦しむのか」ということでした。不登校当事者の苦しみは、壮絶です。不登校児がいる家庭は修羅場となりがちです。苦しむ原因は何なのか。不登校児は、実際に会ってみると、社会性が欠如しているわけでもなく、学力が劣っているわけでもなく、性格や人格に問題があるわけでもない場合がおおいです。なのに、不登校児に対してカウンセリングや心理的治療が施されている。なんか、変です。

そのうち、気づいたことがあります。教育は権利であるのに、義務だと思っている人が、あまりに多すぎます。義務教育を「学校へ行かなければいけない」と勘違いしている人があまりに多すぎます。権利を保障することが義務であるのに、義務の内容をはき違えています。そのことが、深刻な悲劇を生んでいます。不登校児の苦しみは、学校神話から生じるのだと言ってもいいでしょう。学校神話から離れるなら、苦しむ原因は消滅します。

学校は、ナショナルミニマムとして、国家を維持していく上で不可欠です。しかしそれは、ミニマムであって、オールではありません。共産主義ならいざしらず、民主主義国家において、公教育がオールであることは、国家の発展を妨げます。

日本で学力低下が進行しているのは、ゆとり教育が悪いのではなく、制度が時代遅れとなり、硬直化してしまっていることが原因だと私は考えています。

しかしこれは、制度だけの問題ではありません。日本人のDNAに深く浸透した学校神話が、あまりにも堅固で、強大です。そのことに私は危機感を抱いています。日本で学校へ行かせることは、現時点では、日本の標準であっても、世界の標準ではないと見ています。日本の国力は、今後ますます衰退していくと予想されますから、日本の標準は、世界的な地位をどんどん後退させていくでしょう。はたして、それが子どもにとって幸せなのか? 親として責任を果たすことになるのか?

こう考えて、せめてわが子だけでも沈み逝く船には乗せたくないと、ホームスクーリングを選択した私ですが、私も日本人、そのDNAにしっかり学校神話が刻み込まれていました。

我が家のメソッドの第一フェーズは、沈没を察知したネズミが沈み逝く船の甲板を走り回るという、呉越同舟とでも言えそうな状態でした。

それはまた次回に。

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