1年目のまとめ(3)矛盾だらけの第1フェーズ

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学校に行かせるのも親のエゴといえばエゴだし、学校に行かせないのも親のエゴといえばエゴだし、子育て全般にも言えることだけど、子どものためにいいことをしている・・と勘違いするのではなく、何をやっても親のエゴなんだ・・ということを自覚して子どもに接しないと歯止めがかからなくなると思います。

親が子どものためと思っていいことをしているつもりでも必ずしもそれがその子にとって必要なこととは限らない。逆に、子どもにとっては一見過酷な状況に見えたとしてもそれがその子の将来にとってはプラスになることもあるかもしれない。。

自分が子どものために「いいはず」だと思っていても子どもから少しでも『違う・あわない』という反応があるのであれば、軌道修正するような余裕は常に持っていたいと夫婦でいつも話しています。

ねじりはちまきで徹夜を続けて勉強しないと東大や京大に合格しないと思っている人が多いと思いますが、私は現実にはそういう人を知りません。もしそのような人が実際にいるなら、特殊な能力をもっていると思います。なぜなら、そのような勉強の仕方は著しく非効率であり、非効率な方法で結果を出すというなら、きっとスーパーマンに違いありません。

仕事にしろ、勉強にしろ、労働量を増やすことで、ある程度まで生産力は向上します。しかし、「ある程度」を超えれば、労働量を増やすほど生産力が低下していきます。しなければいけないが、しすぎてもいけない。では、制限なき向上をしていくには、何が必要なのか。モチベーションでしょう。たとえば「めざせ東大!!」などという張り紙は、モチベーションではありません。それは、自らを追い詰める強迫です。モチベーションとは、それをせずにいられない思い、知らない間に夢中になっている感覚、そういうものを成り立たせている基盤をいうはずです。

教育は、強迫であるより、モチベーションである方が、望ましいはずです。
強迫は、危機駆動型です。「勉強しないと、落ちこぼれる、取り残される」
モチベーションは、希望駆動型です。「なんて楽しいんだろう! あれ?知らんまに勉強していた」
学力を向上させるには、勉強時間を増やしてもしょうがないです。むしろ逆効果でさえあるでしょう。モチベーションこそ、増大させねばなりません。

と、私は充分にわかっていましたし、モチベーションの増進が学校教育が苦手とする部分であることも了解していますし、ホームスクーリングにおいて、最も重点を置かねばならないポイントだと考えていました。

そこで、ゴン太が1年生になる前後に、多様な図鑑や読み物をたくさんそろえ、どんな興味にもなんらかの手がかりをみいだせるよう、環境整備しました。ゴン太が2歳の頃から、ベネッセの通信講座を毎月購入していましたが、ゴン太の強い希望によって、小学1年生用の「チャレンジ1年生」も購読しました。

ただ、「読み書きそろばん」に当たる部分は、スポーツで言うところの基礎体力作りでしょうし、それらは毎日トレーニングを重ねる必要があると、私は考えました。日本の童話を薄くプリンタで印刷して、なぞって書く練習。漢字のドリル。私が表計算ソフトで作成した計算シート。これらを日課としました。強制はいけません。
「しなくてもいいけど、したほうがいいよ」と、おかしな理屈でゴン太に接しました。
しなくても、怒りません。
「今日、勉強した?」
「しなかった」
「あ、そう」
こういう会話がなされる日も多かったです。

でも、ゴン太は、しないといけない気がして、無理に勉強することも多く、勉強がいやでいやでたまらないと愚痴るようになっていきました。「いやならしなければいい」と言っても、それがよけいに強迫的に聞こえるようでした。

とはいえ、課題を全部こなしたとしても、2時間弱ですし、学校に行くことを思えば、うんと学習時間は短いはずです。計算も漢字も、まずまず身についていきました。

だとしても、ゴン太は、いやでいやでしょうがありません。こんなことでは、学校に行っても、多衝動児であるとか、落ち着きがないとか、問題視されそうですし、ゴン太自身、枠にはめられて苦しみつつも持ち前の特性を押し殺していく、ということになりそうです。それが、成長なのだ、と説明されるでしょう。集団生活なのだ、社会性なのだと、説明されるでしょう。

出る杭にならねばならないのに、出る杭を育てなければならないのに、出る杭を打ちのめしてしまう。それが美徳なのでしょうね、日本という沈み逝く島国では。

そうなっては子どもに未来を与えられないので、そうならないよう、「勉強がイヤだ」という気持ちを尊重して、勉強しなくてもいいよといいながら、それでもトレーニングは大事なのだと醜い矛盾をつのらせていました。

いつの間にか、「勉強したらテレビをみてもいいよ」というルールができていて、ゴン太はテレビを見たい日だけ勉強し、見たいテレビのない日は堂々と勉強しないという、動物調教型になっていました。

勉強しなさいというのはよくないが、勉強しなくてもいいよと言ったら子どもは勉強なんかしない。かつて、サマーヒルを批判した「常識人」たちと同じ論理を私も踏襲していました。

あきらかに、ゴン太にとって勉強はストレスであり、それとつきあうナナにとってもストレスとなっていました。ストレスとストレスの衝突で、ゴン太は勉強の成果をママでなくパパに見せるようになっていきました。

そんなこんなで12月4日、突然、ナナが切迫早産&逆子を理由に入院を指示されました。たいがいのことが想定内である私にとっても、まったくの想定外であり、さてさて、明日からどうしたものやら・・・。7歳、4歳、2歳の子を抱えた父子家庭・・・。

絶体絶命のピンチです。するとそこへウルトラマンが・・・来るわけもないし、どないかこないかして、生きていくしかありません。
危機駆動型 逆噴射 希望駆動型。
第二フェーズの予告をして、今日はおしまい。

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