ホームスクーリングの最近のブログ記事

 法令においては、日本国憲法→国際条例→準憲法的法令(教育基本法)→国内法令(学校教育法など)という優先順位をふまえて法の趣旨・法の正義を第一とし、文部科学省の教育方針(確かな学力、なかでも「課題発見力」)を第二とし、生涯学習の概念を第三とし、国が定める学習指導要領に準ずる「ホームスクーリング要領」を別途定め、常に検証と修正を行い、公教育を凌駕する教育の実現に努める。

 私は、教育問題について深い理解を持たず、いまなお持ち得ていないが、この半年間に、地域と京都大学大学院教育学研究科との協定に基づく活動に関わる中で、いくぶんの理解を獲得した。が、長男が親を上回って教育の本質に迫ったことを知り、がく然とすると同時に、その芽を摘まず、伸ばしてやることを望んで止まないところである。長男が語った言葉で締めくくる。
「ぼくの『学校』の名前を考えたで。『なんでも学校』っていうねん。
もうひとつの言い方はな、『どこでも学校』やねん。
もうひとつの言い方はな、『だれでも学校』やねん」
 教育の責任主体を学校にゆだねるのが「学校教育」であり、家庭にゆだねるのが「ホームスクーリング」である。
 すべての家庭が教育の責任主体たりうることは理想であっても現実には著しく困難である。公教育は、それがいかなる重大な瑕疵を包含していようとも、その存在は必然であり、何人も否定できない。
 が、公教育の存在必然性が、教育の責任主体たることを望む家庭の責任主体としての位置づけを否定するなら、公教育がいかなる家庭をも上回る理念と実践とを有しておらねばならず、それもまた現実には不可能である。
 公教育の瑕疵・不足を認識する家庭が自ら教育の責任主体となることを法令は禁じてはおらず、むしろ、改訂・教育基本法にあっては奨励さえされている。
 そのさい、責任主体となる家庭が文部科学省が掲げる方針を逸脱し、公教育にはるか及ばぬ結果に帰結したとしても、その責任はすべて家庭に帰せられることは当然の道理であって、責任を負えない家庭が主体となることを軽率に望んでならぬことは、「児童の最善の利益」を主とすることを定めた子どもの権利条約に照らして明白であり、国内諸法においても、まったく違背しない。が、家庭に求める責務は同等に公教育においても求められるものであり、当該家庭より「児童の最善の利益」を実現しうるかどうかが、公教育の家庭に比する優位性を決定しうる最第一の要因であり、公教育がそのような保証をすべての家庭においてなしうることは公共の概念からして適切とは言えず、家庭の補完的立場にとどめるべきである。

 上記の結論をもってして、家庭における教育責任主体は重視されるべきであるがその責任は重大であり、不断の努力と不屈の邁進が要請されることは言を待たない。その責任はまさに国家や行政に転嫁することは許されず、家庭が全面的に追うべきであり、たかだか人間にすぎない家庭(具体的には父母等の保護者)が負うには現実的と言えず、社会的支援が要請されるところである。その文脈からすると、公教育とホームスクーリングとは対立すべきでなく、相互補完的であるべきで、新・教育基本法第13条において、明文化されているように、協調的である必要がある。

 ホームスクーリングにおける手法は暗中模索であるが、教育とは失敗の許されぬものである。子どもの経過年齢は、再現不能である。常に児童にとっての最大の利益を鑑み、どのような修正や転換をも甘受することを、ホームスクーリングを決意する家庭は認識せねばならないし、公教育・行政もまた、認識せねばならないことである。
 学校教育が「目的を設定する学び」であるなら、生涯学習は「目的のない学び」といえる。
 生涯学習が「動機に基づく学び」であるなら、学校教育は「動機のない学び」といえる。

 学校教育は課題発見力を重視するが「課題発見能力を課題としてもった時点で課題発見能力の育成は頓挫してしまう」という自家撞着が存在する。課題発見力の育成には、目的ではなく動機が必要。
 学びに目的を設定すれば、「知の矮小化」をもたらす。目的の設定と「知の総合化」は両立し得ないパラドクスである。「知の総合化」は結果であって目的ではない。学校教育が、「目的を設定し得ない結果」を受容しうるか? これを解決できるかどうかが、学校教育「再生」の重要ポイントである。それは、リテラシーであり、ポートフォリオによってしか認知し得ない。
 文部科学省の方針を忠実にトレースすることは、学校教育においては不可能ではないか。(今後、学校教育がドラスティックに変更されるならその限りではない)
 現段階で、「確かな学力」を養成するには、「アン・スクーリング」(反学校でなく、非学校でなく、脱学校でなく、超学校の概念)しかないのではないか。そのことは、現行法令に違反しないし、違反したという実績もない。
 目的を設定しカリキュラムに沿って行うのが学校教育。しかも、平等・公正・中立である。「平等・公正・中立」が機会でなく結果について重要であるなら、知性も課題発見力も自立もありえない。なぜなら、知性とは新たな発見であり、課題発見力とは「あえて新たな発見を促すこと」であり、自立とは「新たな発見が認められること」に他ならないからであり、結果が規定されるなら新たな発見の余地は生じない。
 このことは昭和52-53年の学習指導要領改訂ににじんでいるが、その後「ゆとり教育」として果実され、現在、ほぼ否定されている。カリキュラムを前提とする学校教育においてカリキュラムを超越することは本来的な矛盾をきたす。現在は、その矛盾が抜き差しならぬ状況。

学力低下
 学習時間の多寡、学習内容の濃密に原因があるのではなく、構造的な問題。課題発見力を求められているにもかかわらず、それを要請できないシステム。

いじめ
 「いじめがあるか、ないか」という二元論的対応はそもそも非現実。いじめは異文化接受の問題であり、「知性→課題発見力→自立」によってその存在が非問題化する。
 逆にいうと、知性の欠如がいじめを問題化し、課題発見力の欠如がいじめを解決困難な問題とし、自立の欠如がいじめを深刻な問題とする。いじめが起きると、「心の教育」が叫ばれるが、思いやりの欠如がいじめにつながるのではなく、異質なものの受け入れ方が未熟であることがいじめをこじらせるのではないか。いじめの「解決」には知性の養成が要請される。果たして、学校教育で知性の養成は可能か? それは、「学力」には違いないが、テストで計測できる学力ではない。

不登校問題
 法解釈の根本的な誤りが致命的。
「就学義務」ならば、学校に行かないことは問題。
「教育義務」ならば、学校に行かないことは事象であって問題ではない。

研究者からの示唆に富む指摘
2006年(平成18年)12月1日(金)読売新聞
教育ルネサンス フォーラム「義務教育改革シンポジウム」
田中耕治 京大教授(1952年生まれ。専門は教育方法学)
「学力」適切な評価法必要
 学力は「わかる力」、能力は「生きる力」と言い換えることができる。学力は能力の一部だが、中軸を占めると考えたい。いかに能力に結びついた学力を身につけるかが課題だ。
 現在の論争は「ゆとり教育」批判から起こった学力低下問題に端を発するが、学力の質を問わずに水準の低下ばかり論争しても、本質的な解決にはならない。学力実態を把握するには、「学力の水準」「学力の格差」「学力の質と構造」「学習への意欲」の四つの視点を持つべきだ。
 国際学力調査を分析すると、我が国の学力水準は、順位が低い分野があるのは確かだが、過剰に反応するほどではない。ただ、中学生の学力低下には注意が必要だ。小学校中学年から中学生まで、学習の遅れの固定化傾向が見られる。
 学力の中身である質と構造を見ると、応用力や読解力を問う課題を解く率が低い。中学生では、それ以前の基礎学力にも揺らぎが見られる。全体の学習意欲も年々低下しており、どう意欲を喚起するかが課題だ。
 格差の放置でも、低いレベルでの平等でもなく、高い質の学習を多くの子供に提供することが理想だ。
 現在、必要な学力とされる「リテラシー」とは、「文化を読み解き、再構成する能力」と規定できる。これは、三つの要素を経て形成されると考えている。
 まず「『本』を読むこと」。新しい文化の内容を能動的に習得することだ。次に「『本』で世界を読むこと」。自分たちの生きる世界をより深く理解するため、習得した知識を活用することを意味する。さらに「自分の『本』を創ること」。学んだことを自己評価を加えながら表現するために探究することを指す。
 リテラシーは従来のテスト法では評価できない。米国でも、標準テストが生活からかけ離れているとの反省から、最近は「真正(本物)の評価」をしようという機運が高まり、学んだことを何らかの表現作品として発表させるパフォーマンス評価法や、学習計画や作品、自己評価を収める「ポートフォリオ」の評価が注目されている。
 リテラシーをはぐくむには、それにふさわしい評価を行うことも求められる。そうすることで初めて「確かな学力」が形成される。

前回、教育委員会へ提出した文書の冒頭部分を掲載しましたが、ついでに続きも掲載します。章ごとに切って載せます。

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新・学習指導要領のねらい

 現状分析の上で、「知識・技能はもちろん、学ぶ意欲、思考力、判断力、表現力などを含めた学力を子どもたちに身に付けさせることが必要」と結論づけている。そして方針を「完全学校週5日制の下、各学校が「特色ある教育」を展開し、子どもたちに学習指導要領に示す基礎的・基本的な内容を確実に身に付けさせ、自ら学び自ら考える力などの[生きる力]をはぐくむ」としている

ポイントは
・教育内容の厳選
・選択の幅の拡大
・総合的な学習の時間の創設
・個に応じた指導の充実
・体験的、問題解決的な学習活動の重視
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教育内容の厳選として
・全員が共通に学ぶ内容を厳選することにより生じる時間的・精神的な余裕(ゆとり)を活用し、
(1)子ども一人一人の理解や習熟の程度等に応じたきめ細かな指導を行う
(2)観察・実験、調査・研究、発表・討論などの体験的、問題解決的な学習を行う
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 総合的な学習については「総合的な学習」が「課題発見力」を養成し「知の総合化」につながるとしている。
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 学習指導要領の変遷を見ると、昭和52-53年の改訂に「ゆとり」と「詰め込み」が混在し、ターニングポイントであったことがうかがえる。この時代に「詰め込み」の批判が殺到し、詰め込みの弊害が広く認識されていた。(ex.応用が利かない)
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 結果として描いた図式は
20071202_41.jpg


確かな学力
8つの要素
 学ぶ意欲  →思考力
 知識・技能 →判断力
 学び方   →表現力
 課題発見力 →問題解決能力
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 対角は意味がある。右辺には左辺が基礎となることが省みられなかったが、いま、明確に図示されている。とくに「課題発見力」は新規であり、最重視。

「ゆとり教育」から「確かな学力」へ
 「ゆとり教育」の言い換えが、「課題発見能力」。ゆとり教育は手段であって、目的ではない。課題発見能力は目的であって、手段ではない。課題発見には、課題が与えられてはならず、「何が課題であるか」を見いだすための試行錯誤、右往左往が許容されねばならない。ゆとり教育に対する短絡的な誤解が批判をうんだが、文部科学省は、基本姿勢を変えず、表現だけを変えた。

 文部科学省の学力チャートの中心「生きる力」は「自立」とほぼ等しい。義務教育が「自立」をめざすことは、新・教育基本法第5条に明記されている。「生きる力」の要である「確かな学力」に配置された「課題発見能力」こそが、最も重要で、教育改革の要点になる。

自立
他人に惑わされず自分で考え行動する勇気
自らのことは自らが決め、それを実践していく能力
   
 ゆとり教育、総合的な学習が目指したものは、「自立」であると考えられる。社会が必要とする人材は、経済成長期の「労働者」ではなく、自立した社会参画者。指示がなければ何もできないのではなく、自分の役割を自分で見いだして、協働していく。
   
 依存状態にある時、自分の人生の主役は自分ではありません。依存対象の相手が自分の人生の主役になっており、自分の人生を支配しているのです。
 自立とは、自分の人生の主役に自分がなることであり、そのための道筋には次の二つがあります。
 その一つは、依存対象の喪失であり、依存対象が恋人の場合には、失恋が自立へと向かうチャンスになるのです。ところが、失恋をきっかけに別の依存対象を見つけてしまい、同じことを繰り返す人もめずらしくありません。この道筋は、確実に自立に到達するとは言えないのです。
 自立へと向かうもう一つの道筋は、依存状態の自分に疑問を抱くことです。自分を犠牲にして相手に合わせるのではなく、自分の夢を実現したいと思うことであり、この道筋の方が確実に、自立へと向かうことができるでしょう。
 いずれにしても、孤独に弱いままでは、夢を実現することができません。それぞれが孤独を引き受け、夢の実現に向けて努力することが、互いの人格を尊重し合える、よりよい人間関係を可能にするのです。
(東京女子医科大学助教授 諏訪茂樹 http://homepage1.nifty.com/shigeki-suwa/loneliness/)
   

知性
・自分が正しいと思っている内容・論理・事象を自分で批判する能力
・ネットワークを創発させる能力
・物事を客観的かつ冷徹に眺めることのできる眼差し
などの表現があるが、まとめるなら、
・視点・意見・思想などを客体化する力
   
 ひとつのものごとを、いろんな角度から見て、あらゆる局面、あらゆる可能性を視野に入れること。それができないと、課題発見などできない。たくさん知っていること、計算が速いこと、問題を解くのが得意なこと、これらはコンピュータでもできること。人間は、コンピュータより高次の能力を持つ。それを開発すべし。
   
 知性→課題発見力→自立

2010年1月

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