学校教育の最近のブログ記事

ゆとり教育批判論には、こういうものが目立ちます。

学校が十分教えないから塾で補わないといけない
  ↓
子どもが忙しくなる

その結果、子どもは創造性や応用力を育成することなく、結果を出すことに忙殺されてしまいます。これは由々しき事態です。学校で十分な内容を教えさえすれば、子どもは余裕ができるはずで、教科書以外の様々な学びや遊びに打ち込めるはずです。

あれ? なんかおかしい。ゆとりをつくるはずのゆとり教育が子どもたちからゆとりを奪い、ゆとり教育批判論がゆとり回復をめざしている? 何のことはない。ゆとり教育批判論がめざしているのはゆとり教育そのものではないか。では、なぜゆとり教育をめざすためにゆとり教育を批判(否定)せねばならないのか。文科省と教育現場の乖離が諸悪の根源でしょうか。

現場では骨身を惜しんで奮闘されている先生方も多くいらっしゃいます。それをわかった上で申します。学習指導要領には、最低限だけ記されていて、あとはいくら上乗せをしてもよいというのが、ゆとり教育でした。本当に自由ですし、先生方がどのようにおしえてもよかったはずです。なのに、現場は大混乱。

教育現場というものは、マニュアルで規定されねば動けないものなのでしょうか。ある意味、最もゆとり教育が必要だったのは、教育現場(教育委員会と先生方)なのではなかったでしょうか。
中教審でゆとり教育への反省が表明され、見直しが打ち出されました。ゆとり教育という言葉は文部科学省サイドはほぼ使ったことがなく、「俗称」ですが、解釈や受け止め方は大きな幅が生じてきました。20年ほど前までは、詰め込み批判一辺倒に近かったのに、最近では、おおむね、ゆとり批判一辺倒です。

ゆとり教育へ賛成か反対かというのは、難しい質問です。というのも、今、ゆとり批判をされている論調がわかりにくいからです。ちょっと整理してみます。

ゆとり教育は、学習時間を減らすものである。
  ↓
読み書き計算という基礎学力がじゅうぶん育っていない。
  ↓
基礎学力が弱いと、応用力が身につかない。
  ↓
だから学力が低下した。

その改善策として言われているのが、

学習時間を増やす。
  ↓
読み書き計算という基礎学力をみっちりやる。
  ↓
応用力を養う。
  ↓
学力が向上する。

ここで、奇妙なのが、改善策の発想は、20-30年前、私が小学生から大学生にかけてのもの、そのものです。私は共通一次の4年目で、全受験生に5教科7科目が課せられていて、教科書の分厚さも、今とはまるで違う、詰め込み教育のピーク時でした。その私たち世代が社会から批判されていたのが、「応用力がない」ということで、「学力が低下した」とも言われていました。

その後、経済成長が停滞したり、1990年代に世界的な構造変化が起きたりして、教育も見直しが進み、学力とか、応用力とかいう、教育の目指すものが議論されて、問題解決力→課題発見力といったテーマが浮上してきました。
子どもたちが、問題解決力や課題発見力を身につけなければいけないという考えは、ゆとり批判論者もだいたい持っているようです。

こういう「応用力」には、2つの事柄が必要なはずです。
1.基礎学力、幅広い教養。
2.時間的・精神的ゆとり。(試行錯誤する時間、失敗を許容する環境)

この2点に付随して、様々な要因が必要とされます。
リテラシー、異質なものと交流、異文化理解、共生、社会性、世界・国・地域と自分の関わり(あえて愛国心という表現は避けます)、表現力、プレゼンテーション力、マネジメント力・・・

友だちと仲良く遊ぶということはもちろん基本ですが、もっと広く、世界を見て、世界を知り、世界と交わり、世界の中で考えることが、子どもの頃から求められるはずです。それは、単に英語の早期教育というシンプルイシューではなく、智のあり方の問題です。

ということで、私には、ゆとり教育そのものも、ゆとり批判も、同じ方向を見て、同じことを言っているようにしか見えないのです。

テクニカル的には、ゆとり教育には未解決の問題が多いです。詰め込み路線でやってきた学校システム、先生方に、回れ右!といったって、急には回れませんし、回りすぎて目が回った人もいるようです。

ゆとり教育を検証し、批判し、改善していくことは、だいじなことです。しかし、いま、「検証」が欠けているように思えてなりません。学習時間を増やせば学力が改善するのか。学習時間を増やすのが悪いことだというのではなく、増やすことの中身です。

私の子は、今、小学生になったばかりで、これからダッチロールする学校教育世代に突入するわけですが、ホームスクーリングを選択した私には、「対岸の火事」とも見えます。学校教育には、おそらく学校に通わせている多くの親よりも強い関心をもっており、学校教育がナショナルミニマムであり、社会に不可欠なものだとして案じていますが、わが子が巻き込まれずにすむ安堵感は、なんとも不思議な感覚です。

2010年1月

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