相楽ねっと モモとナナの日記

2004年12月

(2004.12.27)
大地震  (モモ)

どえらい地震ですな。
26日のインドネシア地震。
M9.0ってか?
そんなもん、東海や南海に来たら、どないなんねん?
童仙房やったら、津波は大丈夫やろけど・・・(標高400-500m)



(2004.12.17)
結果を出す男  (モモ)

おもしろい記事を見つけました。

【AERA発マネー】40代金融エリートの欲と現実
 (2004年11月15日号)
http://www.asahi.com/money/aera/TKY200411240161.html

「いい大学、いい会社――信じていた道が崩れていくときに堀江が現れた。こんな生き方があったのか。でも、もう後戻りできないよ」「いつも逃げ道をつくって仕事している。結局、独立する勇気や器量を持たない人間がサラリーマンをやってるんですよね」
「30代中堅の信託銀行マンFさんは、冷めている。将来、ここで身につけたノウハウやスキルを生かして独立したい。そう宣言して入社してくる人間ほど、社内で何しているのかわからないぐらい、目立たないという」
「いい大学を出て大企業に入るという最もリスクが少なく投資効果の高い成功モデルが崩れ、中高年が自らの生き方を反省している」

高学歴→大企業という出世モデルが崩壊し始めたのは、いつごろだったっけ?
私が学生時代はバブル真っ最中だったし。
1990年半ばあたりかな?

いまでは、すっかり崩れたと言ってもいいでしょう。
今は、起業、独立の方が上でしょうね。

何が変わってきたのかな?
「結果を出すかどうか」ではないかな。
つまり、20世紀型は、結果を出すのは会社であって、個人ではない。個人は結果を出すより、会社に従順である方がいい。
21世紀型は、個人が結果を出すことを求められている。会社の中でも。

結果を出せば「勝ち組」、出せなければ、「負け組」。
単純なルールです。

結果を出すのは、なかなかしんどい。
研究も必要、努力も必要、勇気も必要、行動力も必要、鋭敏な判断力も必要、慎重さも必要。
まるで、ジャックバウアーやなぁ。



(2004.12.15)
2010年問題  (モモ)

 2010年問題、っていう言葉を、しばしば見かけます。

 2010年問題とは、日産自動車のカルロス・ゴーン社長が言い出したことだそうです。2010年前後、つまり戦後のベビーブーム時代に生まれた、いわゆる「団塊の世代」のサラリーマンたちが集中して一斉に定年を迎えるということを指しています。

 1949年当時の出生数・約270万人に対して2003年の出生数は約120万人という「超少子高齢化時代」が本格的に幕を開けることになります。その時点で、そのことから波及的に発生する諸問題の総称が「2010年問題」なのでしょうが、予想される最も重要な問題点を選ぶとすれば、次の3つです。
(1)構造的な「労働力人口不足」問題が発生
(2)「国家財政破綻問題」が表面化
(3)年金等「日本の社会保障制度崩壊」の姿が現実化

天木直人さんのブログ「天木直人・マスメディアの裏を読む」の2004年12月13日にこの問題に関する記述があります。
http://www.amaki.info/
日本経済は実は大変な問題を抱えている。・・・2010年前後に予想される劇的な事態は『確実』にやってくる。・・・2010年ごろに何が起きるか。まず家計の貯蓄率ゼロという事態が及ぼす経済的混乱である。30年ほど前の日本の家計は23%も貯蓄していた。しかし直近(02年)の貯蓄率は6.2%に過ぎない。・・・団塊の世代が退職年齢を迎え貯蓄を取り崩す頃にはゼロもしくはマイナスになる。・・・これは日本企業の設備投資を支える資金がなくなるということだ。・・・もっと困るのは国債を発行している日本政府である。日本国債の95%は日本人が買っている。しかし家計に国債を買う力がなくなる。

 どう備えたらいいんでしょうね?



(2004.12.08)
いつまでも人間でいたい  (モモ)

危うい改憲論のどこが危ういかを端的に示した文書を見つけました。
中日新聞の「憲法論のホログラム」と題する社説(2004年12月5日)です。
http://www.chunichi.co.jp/00/sha/20041205/col_____sha_____000.shtml

「政権党が使い勝手が悪いと考えているのなら、憲法が正しく機能しているのです。現行憲法に存在意義がある証拠です」という言葉は、目から鱗が落ちるようです。というのも、「憲法は統治機構の権限とその配分を定める法典」であって、「近代国家の憲法は権力はほっておけば肥大化し暴走するという歴史的教訓から生まれ」たもので、「権力にできることを限定し、これから先はやってはいけない限界を決めるのが役割」だからです。つまり、「憲法を守ることを期待されるのは公務員、権力者であり国民ではありません。日本国憲法第九九条もすべての公務員に憲法を尊重し擁護する義務を課しています」。

 さらに、「いま日本で盛んな改憲論議ではこの点が抜け落ちて、憲法を国民の方が守らなければならないもののように思わされてしまっています」という指摘があり、「自民党は憲法を国民の行為規範と位置づけており、先に明らかになった憲法改正大綱の原案には、国民の義務、責務をいろいろ盛り込んでいます。憲法で国民を教育、指導しようとしているかのようです」とも。

 「政権の行動を制約するブレーキである憲法の改定を、政権党自ら言いだすだけでも要注意です」という指摘はさらに深くうなづかされます。

 しめくくりは、「国民にあれこれおせっかいを焼いて価値の押し売りをする憲法に変えるのか、今まで通り権力抑制が主な役割で統治者に使い勝手が悪いと思わせる憲法を持ち続けるか。近代的憲法観が転機を迎えています」。

 いつのまにか、憲法が何なのかという基本的な事柄が見えなくなって(見させないように?)きています。主権者は国民であって、政府ではない。こんな当たり前のことが、どこかへ行ってしまっている。当たり前のことを当たり前のように継続させるために、多大な努力が必要なんだけど、それなら支配され管理された方が楽とでもいうのだろうか?
 私は家畜になりたくない。人間でいたいです。



(2004.12.06)
くま  (モモ)

童仙房でクマが目撃されたという噂を聞きました。
すぐ近くの宇治田原町でクマが事故死したので、童仙房へ来るのも時間の問題かな、と思ってはいましたが・・・
伊吹山から来たのかな?
ほんまにもう、環境がおかしなってしもたんやわ。
えらいこっちゃで。



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