活動目標と理念

Q&A

きっかけ

Q1 京都大学大学院教育学研究科が野殿・童仙房地区で生涯学習の研究と実践を始めた経緯を教えてください。

A1 概要は、2006-7年の「活動一覧」として図表にしておきましたから、そちらをご覧ください。まったくの偶然が重なったとしか言いようのない出会いから出発しましたが、研究フィールドを探していた大学と地域の将来について危機感を持っていた地域双方の想いが合致してここまで来られたのだと思います。


Q2 具体的にはどのようなことでしょう。

A2 京都府相楽郡南山城村の旧野殿童仙房小学校が平成18年3月末で閉校になりました。この旧小学校を拠点としながら新しい教育空間を作ることを目指して活動を始めました。川崎良孝教育学研究科長と中村富士雄野殿区長、西村秀俊童仙房区長が生涯教育に関する協定に調印したのは、2006年6月23日のことです。

野殿・童仙房について

Q3 野殿童仙房地区とはどんな地域ですか。

A3 京都府の最南端に位置します、三重県、滋賀県、奈良県に隣接しており、両地域とも行政的には京都府唯一の村である南山城村の一「区」です。その南山城村の北部に位置し、標高500メートルの高原にあります。主産業はお茶で、椎茸、トマトなどが特産品です。


Q4 地域の歴史を教えてください。

A4 野殿は古くからある土地ですが、反対に童仙房は明治時代に拓かれた開拓村です。1969(昭和44)年に童仙房開拓百周年を迎えました。今なお開拓の気風が残っており、京大との提携を明治時代の開拓、戦後の開拓についで、第三次開拓の時代にしようと意気込む地域住民もいるほどです。


Q5 住民の人口はどのくらいですか。また何か特徴はありますか。

A5 南山城村の人口がおよそ3,500人で童仙房区は250人程度と言われています。開拓百周年を迎えたときには、戸数69戸、人口337人ということでしたから、他の過疎の地域と比べると、比較的人口減少は緩やかだと思われます。それには、昔からの住民だけでなく、この地域が気に入って新たに入ってきた住民(Tターン組と呼んでいるそうです)が参入してきたことが大きいようです。またそのような新規参入者を歓迎する開拓村特有の風土もあるようです。

意義

Q6 京大が野殿・童仙房地区と協定を結んだ意義はなんでしょうか。

A6 まず何よりも、京大が行政単位ではない地域自身と協定を締結したことです。従来、大学の地域貢献や地域連携というものの内実は、実際には大学と行政の連携がほとんどでした。大学が地域自身と直接このような協定を結んだことはめずらしいのではないでしょうか。その意図は、行政主導型ではなく、住民が主体的にかかわって地域の問題を解決し、再生を目指していくそのプロセスに大学が研究や学生の教育を通して関わっていきたいというものです。そのために「区」とは別に、「野殿童仙房生涯学習推進委員会」という組織を新たに立ち上げ同地区と京都大学との連携をより明確にしようとしています。


Q7 京大の目的はなんでしょうか。

A7 フィールド研究といえば、これまでは研究者の知らない地域に出かけていって、研究という名でその地域の習俗や出来事を記述することで自足する傾向がありました。また、拠点としての施設の利用といえば、大学の課外活動の一環として施設を大学の都合で利用するいわば「植民地」活動に似たことを行なっている大学もあるようです。要するに、地域に何の貢献もなされない「地域貢献」が少なくないのです。そのようなものでなく、京都大学のもつ豊かなリソースをもとにして、地域の抱える課題と向き合って地域活性の新しいモデルづくりに協力し、生活と学習を組み合わせた新しい学びの共同体づくりをめざすことです。

広報

Q8 地域の人たちや地域外の人たちには京大の活動をどのように知らせていますか。

A8 『風と雲の便り』という広報誌を創刊しました。年4回刊行で、今後も継続して発刊するつもりです。主として、野殿・童仙房の人たちに向けて発信するものですが、同時に地域の再生や広い意味での教育問題に関心を持つ全国の方に読んでもらいたいと思っています。

どんな活動か

Q9 具体的にどのような活動や行事が行われたかを教えてください。

A9 「昔子どもだったおとなと今の子どもと未来の子どものための農業体験」という農業体験プログラムをスタートさせました。これは、地元の有志の方の指導を受けながら、農作物の命が育っていく驚きと命を育てる労働の喜びをすべての子どもたちに知ってもらい、この経験を次世代の子どもたちにも伝えていければと言う願いをこめて立案されたものです。<子ども>というキーワードが入っていますが、これは子どもの視点で<農>を見直そうという意図からきています。昔子どもだったおとなでもいいわけですから、実際には誰もが参加できることを想定したネーミングです。もちろん学生も可能な限り参加しました。


Q10 この活動の面白さや課題などたくさんあったでしょうね。

A10 11月の収穫祭では、収穫したキャベツ、プロッコリ、大根、白菜などの野菜と、地元で猟師さんの獲ったイノシシの肉の料理をおいしくいただきました。この企画はもちろん1年限りで終わるものでなく、永続的に取り組まれる企画ですので、来年以降も行います。何と言っても、自分で種をまいて収穫して、それを調理して、食べるという一連のプロセスに関われたのですから、最高です。農村や農業を知らない学生たちにとっても、異文化体験であり、いろいろ新しい発見があったことでしょう。
 課題はもちろんたくさんありました。たとえば子どもの参加といっても、Tターン組の子どもたちが中心で、地元の子どもは普段見慣れているためか無関心だったことです。事前に十分な広報がなされていなかったということも重なったかもしれません。この点は、広報の問題も含めて、考えていかねばならない課題です。


Q11 収穫した野菜を出店したそうですが。

A11 南山城村主催の「活き生きまつり」への収穫した野菜の出店は、経済活動というより、私たちの活動をより広範な人たちに知っていただく活動として位置づけていました。とはいえ、村の方々には好評で、農薬と化学肥料を使っていない野菜を完売しました。同時に、野殿・童仙房の人たちとも協働することで、お互いの信頼ができつつあると感じます。


Q12 8月に行われた夏季セミナー「結んで 拓いて」について説明してください。

A12 「セミナー」は2本立てで開催されました。8月8-9日の両日、韓国の梨花女子大学の教授をゲストに招き、午後の研究会として「地域通貨−人を結ぶ・地域を拓く」を、夜は公開セミナーとして「地域を結ぶ・地域を拓く」というテーマで、人と人、地域と地域を結び、地域を新たに拓いていくことを念頭におきながら、ともに語り合おうとして企画されたものです。これについては広報誌『風と雲の便り』第2号以降で報告されていますので、そちらをご覧ください。


Q13 実際に大学院生の教育と研究はどのように行われたのでしょう。

A13 院生諸君の貢献は、協定調印式やセミナー、そして種々の会合の準備などのお手伝いや農業体験にとどまったわけではありません。実際に、金智鉉さんは「都市の中で生きる−私の異文化体験から」の報告を調印式の際に行いましたし、猿山隆子さんは寄り合いの席上で現在研究中の「生活を見つめること・生活から学ぶこと−鶴見和子の生活記録運動−」を報告しました。倉知典弘君は夏季セミナーのなかで「『地域通貨』とはなんだろうか?−地域通貨の初歩的紹介−」を報告しました。いずれも、報告内容の骨子は広報誌で紹介されるはずです。また広報誌の編集も3号以降は院生が主体的に担ってくれています。


Q14 大学院生が自分の行なってきた研究を報告する、というのはどんな意味があるのでしょう。

A14 院生たちに私は、どのような研究であろうとも、自分の現在行なっている研究をその領域の専門家でない人に、わかってもらわないとだめだと言っています。たとえ地域の住民に直接還元することがなくとも、地域の人の前で自分の研究の一端を披露することは、自分たちの研究が本物であるかどうか試されることになるのです。厳しい試練ですが、とても良い経験になるだろうと思います。


Q15 従来のフィールド研究のスパン(研究に要する時間の間隔)とはずい分違うようですが。

A15 このプロジェクトの名称が「フィールドを立ち上げる」とあるように、野殿童仙房のフィールド研究は始まったばかりです。今年度は、さしずめ「<土地>を開墾して、<畑というフィールド>に地ならしをした」と言ったところでしょうか。このフィールドに種をまき、水をやり、大きく育てて収穫することは次の段階以降になります。わずか1年あまりで性急な成果を求めることこそ、問題でしょう。


Q16 2006年度の「フィールド委員会の活動を振り返る」について教えてください。

A16 2月には、フィールド委員会の各パートが野殿・童仙房に集まって総括のための報告と座談会を行ないました。これもフィールドを研究するのですから、その成果をこのようにフィールドにお返しするというのは本来の姿だと思います。この記録は最終報告書にまとめられますのでそちらを参照して下さい。