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60年後も通用する教育を始めよう!!

新しい学びの場をつくる

プロジェクトのからくり

キャスティング

最近、ベンチャービジネスで「キャスティング」という言葉を見かけます。実力者・権力者に頼んでどうにかする、コネでどうにかするということが通じない時代です。そんな古いやり方をあてにしていたのでは、何もできません。また、「金がないから」できないということもないし、「金があるから」できるということもない。ドラマの脚本家は、自分が直接主役になるわけではないが、主役を動かし、大きな世界を演じます。これを、「プロジェクト」に応用する手法です。小さな力、乏しい資金で大きな仕事を成し遂げる、そんな手法です。

『わらしべ長者』の話を知っていますか? 貧しい貧しい男が、生きるに生きられず、観音様に願掛けをし、歩き出したところ、転んだ拍子にわらしべ1本つかみ、歩くうち、それがミカンになり、反物になり、馬になり、豪邸になった、というお話です。欲なく、誠実な生き方が報われたということで、それはそれで非常に大切なことですが、もう少し戦略を付け加えればプロジェクト化が可能なはず。とはいっても、誠実さを欠いてはいけません。念のため。

自分がわらしべしか持っていなくても、わらしべを必要とする人はいるはずだし、そのあと、ミカンを必要とする人はいるはずだし、そのあと、反物を必要とする人はいるはず。では、それは、それぞれだれなのか? それが戦略です。必要とする人に必要なものを提供することは、それこそが誠実ですし、ものごとを進める力となり得ます。そうなると、必要なものを手にした人は、必要なものを活かすべく行動します。いろんな関わりを持った人たちのその行動をうまくコーディネートできれば、大きなことが実現します。そして、そこに関わる人たちは、その「実現」を喜ぶようでなければいけません。脚本家のひとりよがりは、見るに堪えませんから。

キャスト

ドラマは、進行するにつれ、キャストが増え、構成が複雑になっていくでしょう。今は、まず、起承転結の、起です。ここで出てくるキャストが、最後まで重要なキャストであるはずです。では、キャストとは、誰か?

ここで、私の「メリット」をはっきりさせねばなりません。単純にして、絶対的です。「私の子どもたちにとっての、保育園と小学校を確保すること」です。それも、並みの学校であってはなりません。日本一の、いや、世界一の、まだ見ぬ、必ずこれから先に主流となって行くであろう「学び」でなければなりません。それが、私にとっての「豪邸」です。

もし、野殿童仙房小学校が存続すれば、私は、それで満足し、それ以上のことを追求しなかったでしょう。野殿童仙房小学校が廃校となったことで、私は、子どもたちに与えたいのは何であるかと、原点に返って熟考し、ふつうではできるはずのない行動にうってでました。私のことを、「ジャックバウアーみたい」と、ナナがよく言います。悲観、あきらめ、妥協、逃避は、私にはありません(ジャックバウアーほど攻撃的ではないと思いますが・・・)。ジャックバウアーの口癖「大丈夫だ、すべてうまくいく」。私にとっても、金科玉条です。

それぞれの、メリット

あたりまえのことですが、私の思惑だけで、大きなキャストを振り回すことなどできっこありません。シナリオが必要です。シナリオとは、私の思惑が実現するような、各キャストのメリットです。

京都大学(大学院教育学研究科)の前平先生
研究の手だてとして(フィールド)。童仙房というフィールドにおいてなされる研究活動によって、先生の研究実績となっていくのが理想的。
地域(童仙房)
地域の活性化。地域をいためない類の人たちでにぎわうことで、地域に活力が出る。自然とインフラ整備がなされていけば最高。
松籟社
もちろん、出版活動において。
南山城村
頭悩ます跡地利用の解決。村のPRにも。それでいて、村の負担はなし。
私(の子どもたち)
最高の教育。

いっけん、まちまちのメリットに見えますが、よく考えると、1つのプロジェクトに集約しうる事柄ばかりです。さて、私の子にとっての「最高の教育」とは何でしょうか? これらすべてを追求することこそが、わが子に対する最高の教育であると、気付きます。

ならば、もうひとつ。文部科学省と、府教委です。わが子に与えるのが、日本一の教育であるなら、文部科学省にとってもメリットがなければなりません。文部科学省にとってのメリットとは何であるか? 次世代の教育を実現するための、研究と実証でありましょう。そして、そのことが、京都府から発祥することは、府教委にとってもメリットであるはず。

「そんな、だいそれたこと!!」と顔をしかめる人もいるでしょう。今は、だいそれたことこそしなければならぬ時代です。わが子は、「人柱」なのかもしれません。しかし、私はわが子に対して、全面的に責任を持ちます。そういう親の生き様こそが、教育とも言えるでしょう。

「それは、親による価値観の押しつけではないか」という見方もあるでしょう。ならば、逆に問います。「衰退しつつある公教育に無分別にゆだねることが、親の責任遂行か」と。子を大事に思わぬ親はいません。皆様、熟考の末、公教育を選択しているはずです。結論がちがうだけで、私も同じです。

こう書くと、新しい学びの場に参加するには、ものすごい覚悟が必要であるかに見えるかも知れません。未知の道は、初めて通るに、覚悟が必要です。しかし、その道は、いったん開通すれば、きわめて平易であり、安穏であり、やがて大通りとなっていき、多くの人が行き交います。ふつう、道を通ることに覚悟はいりません。そうでなければいけません。ただ、選択が必要ではあるでしょうが。

逆の視点と、インタラクティブなキャスティング

上で並べたキャストの方々は、それぞれ、意思をもちます。私にキャストされたとしても、受け身であろうはずはありません。自らも、キャストする側に立とうとするはずです。

たとえば、前平先生は、重ねて言います。「京大が地域に何かを押しつけることはない。地域の人たちに喜んでもらえることをしなければいけない」と。しかし、京大は、地域のご用聞きではありません。すなわち、キャスティングなのです。

キャスティングする側はキャスティングされる側であり、キャスティングされる側はキャスティングする側である。これこそが、キャスティングの究極です。キャスティングするとき、キャスティングされることがわかっていて、キャスティングされることに自らのメリットを成就させる道を見いだし、キャスティングされることをキャスティングする。再帰的なキャスティングはすなわちシナジーであり、キャスティングはインタラクティブであることが重要であって、ワンウェイのキャスティングはキャスティングにあらず、です。

インタラクティブなキャスティングを実現するには、キャストが信頼できるかどうか、シナリオを共有できるかどうかを見極めることが肝心要であって、その見極めがキャスティングの成否にかかります。それは、自分が見極めると同時に、見極められることでもあり、その工程の重要さを理解することが大切です。どうやって見極めるか。それは書きません。各々が体得すべきことがらです。

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