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60年後も通用する教育を始めよう!!

すでに、新しい教育の萌芽が・・・

登校拒否、もとい不登校という事象−前編−

疾病とされた登校拒否

いつから登校拒否という事象があらわれ、いつから登校拒否という言葉が使われ出したかはよくわかりません。私が出版社にいたころ、新しい用語であったように記憶しています。私は当時、この事象に強い関心を抱きました。世の中をおおっていた経済至上主義に対し、バブル以降の世の中を考える手がかりと認識していました。

そのころの登校拒否は、逸脱であり、疾病であり、治療すべき対象とみなされていました。精神疾患の一部、あるいは社会不適応症とされていました。しかし、治療法は確立しておらず、むしろ治療を加えれば加えるほど事態を悪化させるというケースもあったようです。そしてまた、社会に適応させる、すなわち学校へもどさせるために、親も教師も命を削るほどの苦労をし、子どもを責め、あり地獄のような苦難へ陥っていくケースも。

学校へ行きたくないとか、学校へ行くことが苦痛だとか、そういう気持ちはけっこう多くの人が一時的にしろ感じることが多いのではないでしょうか? しかし、たいがいは、我慢して学校へ行きます。行きたくないところへ我慢していくことは、社会性なのかどうか。行かないことはワガママなのかどうか。行きたくても行けないというのは、どういうことなのか。登校拒否が疾病であるという認識には、どうも違和感がついて回りました。

はたして心の問題なのか?

精神疾患であるなら、その原因はおそらくほとんどが個人(あるいは家庭)に帰せられるはず。社会不適応症であるなら、本人を鍛え直して適応させるべき。うーん、それって、軍隊みたいやなぁ。そもそも、適応しなければいけない社会って、なんや? 適応するべき社会があるとすれば、それはとても狭小な社会だろうし、時代の推移にもついて行けないでしょう。あるいはカルト、あるいは独裁国家。日本が来る時代に「適応」しかねることへの警鐘ではないか。

「精神疾患」という安易なラベリング(レッテルを貼って決めつけること)は、世の中の変化を拒否する盲目的な保守ではないのか。治療が事態を悪化させるとはどういうことなのか。登校拒否の原因すら究明できないのはどういうことか。年々事例が増加し続けるのはどういうことか。もっとも、登校拒否の中には、明確な精神疾患によるケースもあり、すべてが精神疾患でないとも言えませんが。(現在では不登校を心の病とみなす視点は絶滅に向かいつつありますが、当時はそのような考えを持つことは勇気のいることでした)

最も重要なポイントは、「登校拒否がなぜ起きるのかわからない」ということだと、私は考えていました。心が弱いからだとか、家庭環境だとか、学校が悪いとか、社会が悪いとか、さまざまな見解がありましたが、決め手がありません。複合的な原因によって生じているとか、個人ごとに原因が異なるとかいう見方もできますが、どうもすっきりしません。

原因はわからないが事象は厳然と存在し、年々悪化に向かっている。しかも、個々のケースには、かなり深刻な状況もあります。家庭の崩壊、子どもの自殺、親のノイローゼ、家庭内暴力、引きこもり、拒食・・・。生命の危険に及ぶケースも珍しくありません。

そんな中、明らかに見て取れることがありました。学校も親も、学校へ行かないことを恥と思い、間違いと思い、子どもが将来困ると考え、なんとかして学校へ行かそうと一生懸命になることが、事態を悪化させる最も主要な、そして最も根の深い問題であるということです。

モモの関わり

出版社時代は、強い関心をもって、情報収集するのみに終わりました。退職後、しばらく自分の将来を考える時間を持ち、なんらかの形で登校拒否に関わってみたいという、漠然とした意識を持つようになりました。当時はフリースクールの存在を知りませんでしたが、いまでいうフリースクールのようなものを作ることはできないかと。

童仙房へ移住するとき、はっきり将来の目標として、登校拒否にかかわる活動をしていくことが、ありました。それがまた、時代の変化へ対応していくことにもなるだろうと考えていました。童仙房へ来て、最初の3年は土木作業に従事しました。その後、毎日現場に行くという働き方をやめて、自分のライフスタイルを創っていく生活に変えました。

そして、登校拒否への関わりを始動しました。親の会、フリースクール巡り、勉強会への参加。急速にネットワークが拡大し、多くのことを学ばせていただき、教育現場で何が起きているのかを知ることもでき、さらに直接登校拒否児に接する機会ももてました。どうも、登校拒否は、病ではない。そればかりか、登校拒否で学力が遅れるとか、社会性が育たないとか、人間性が未熟だとか、一般に考えられていたことが、おおむね間違いだと、思い知らされました。私たちは、登校拒否を排除するなどとんでもなく、登校拒否を治療するなどとんでもなく、登校拒否を白い目で見るなど、とんでもないことです。私たちは、登校拒否から、謙虚に学べることが、たくさんあります。

その後まもなく、阪神大震災。被災地へボランティアへ行きました。ボランティアとして来ていた若い子たちには、登校拒否児たちとどことはなしに共通する要素をもっているように見える子もしばしば見受けられました。ある意味、登校拒否は、世の中のひずみを認識し抗議行動にでているとも考えられるわけで、その別の形態がボランティアであるとも見られなくはないです。私は、阪神大震災までは、登校拒否への関わり方を、「心」をキーワードに考えていました。それは、心の病ではなく、親と本人がものの見方、考え方を変えることによって、苦難を緩和していけるのではないかと考えていたからです。

が、阪神大震災で、私の登校拒否観は大きく変わりました。心理学的アプローチにこだわらず、もっとアクティブな形の方が、効果が高いのではないか。そしてまた、「登校拒否」などと特別視し括ることがおかしいのであって、なにか創造的な営みに共同でとり組むことが大切ではないか。事象を受け身にとらえるのではなく、登校拒否を含めて個々の事象に対してアクティブに、また、柔軟にとり組んでいきたい。

それは、村おこし(この言葉はすでに死語です。「活性化」もすでに死語化。「地域間交流」がぎりぎり現役。今後は「グローバルなローカルネットワーク」←私の造語)という活動に発展しました。かたや、登校拒否に関しても、さらにフリースクールとの関わり、登校拒否児・登校拒否卒業児との接触、勉強会などネットワークへの参加を続けていきました。ただ、自分がフリースクールを運営しようという考えはすでになくなっていました。だって、日々是フリースクールなんですもん。

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