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60年後も通用する教育を始めよう!!

すでに、新しい教育の萌芽が・・・

フリースクール今昔

フリースクール運動の萌芽

 現在、フリースクールというと、不登校児のための受け皿と了解されているようですが、フリースクールの出発点は、不登校と無関係です。

 「フリースクール」は、公教育に対するオルタナティブ教育を漠然と広義に意味することもありますが、近年では不登校児の居場所と狭義に用いられます。江戸時代の「寺子屋」など、フリースクールではないかとも思いますし、フリースクールの存在自体は新しいものではありません。ここでは、フリースクールを、「フリースクール運動に基づく教育」と、広義でも狭義でもない中義?に用いることにします。

 欧米の自由学校がフリースクール運動の原点であり、イギリスのサマーヒルという学校が最も基本的なモデルとされます。サマーヒルというのは、ニイル(A.S.Neil,1883-1973)が1921年に設立した小さな寄宿学校です。子どもたちの自由意志を重んじ、大人(教師ではなくスタッフ)は、勉強を強いることなく、子どもたちが興味や意欲をもったことをサポートするという方針を徹底しました。日本の教育では、ちょっと考えられない発想ですね。当時、イギリスでも、サマーヒルに否定的でした。放任すれば、子どもは勉強などしない、と。しかし、学力テストを行うと、公学校の生徒たちより、平均点が高かったとのことで、がぜん注目を集めることとなりました。

 となると、理想的な教育ではないですか。やがて、欧米各国でも、そのような自由学校が試みられていき、少し遅れて日本でも取り組みが始まりました。日本では、1982年2月に発行された『教育に強制はいらない』大沼安史著(一光社)がフリースクール運動の原点とされています。この書籍のあとがきで、フリースクールに賛同する人たちの結集を呼びかけたところ、かなりの人数が集まったそうです。

 これを皮切りに、関東と東海と九州と関西でフリースクール研究会が立ち上がり、フリースクールが次々と誕生していきました。

フリースクールの老舗

 1985年10月27日に、兵庫県高砂市に、地球学校が設立されました。アメリカの自由学校に感銘を受けた児島一裕さんが、自宅の蔵を改築して始めました。サマーヒルの精神を引き継ぎ、日本流にアレンジし、寄宿制のスクールです。児島さんは、自由と自主性をたいへん重んじる方で、誰にも対等に接します。「自分が生きているこの地球にあるすべてが良き教材であり、そこにいる人々すべてが良き教師である」というのが地球学校の方針で、地球学校にはテスト、カリキュラム、評価などはありません。

 寄宿制で、となると、学校に通えないわけですし、自ずから不登校児が対象となります。初年度は生徒(この表現は適切ではありません。「メンバー」といった方がよさそう)4名でスタートしたそうです。

 「生徒4名で学校を運営できるのか?」という疑問があるでしょう。フリースクールは、一般に補助を受けていません。一般にフリースクールは、すさまじい(^_^;)経営苦という深刻な問題を抱いています。スタッフ(「先生」という表現は不適切)の給料は、 (・O・; という感じです(具体的な記述は避けます)。スタッフは、他にアルバイトをしていたり、本職をもちながらのボランティアであったりします。

 しかし、考えてみると、学校の先生は専従もいいけれど、社会とつながりをもった兼任も教育には大きな意味があるはず。

初期のフリースクール

 フリースクール研究会のある地域では、ニイルがさかんに研究されました。そして、サマーヒルをモデルとする日本版フリースクールが、続々と作られていきました。フリースクールはそれぞれ独立しており、諸問題(教育方針とか、経営とか)を解決していくには、ネットワークが必要です。地球学校が呼びかけて、毎年秋に、フリースクールのスタッフミーティングが開催されました。また、関西フリースクール研究会がフリースクール全国合宿を開催したこともあります。

 私は、1994年からフリースクールに関心を持ち、積極的に人脈を作っていきました。関西のフリースクールを順次訪問し、どのように運営されているかをじっくり研究しました。また、1995年夏に、京都府大山崎町で開催されたフリースクール全国合宿では、スタッフとして参加し、たいへん多くの勉強をさせていただきました。

 1980年代から1990年代前半にかけてのフリースクールは、ほぼ、サマーヒルをモデルとし、サマーヒルを研究することから始まったケースが多いようです。また、学校の先生が、公教育に疑問を感じて退職し、自ら私財をなげうってフリースクールを始めるケースも散見されました。

 日本流のサマーヒルを模索する過程において、いくつかの個性が誕生します。「社会運動型(環境問題とか、平和運動とか)」「自分の心を見つめる型」「徹底的な子ども自主性重視型」「家庭型」などがありました。

 ただ、「自由学校」を実現しようとするとき、生徒になるのは誰か?と考えると、不登校児が最有力です。もともとフリースクールは公教育に対するオルタナティブですから、すべての子ども(いや、大人も)が対象となるはずですが、現実には学校へ行っている児童はなかなか対象に入らず、当初の目的とはややずれて、不登校児の受け皿として認知されていくこととなります。サマーヒル研究から入ったフリースクール経営者たちは、この動向を「不本意」と感じていたようです。

 自由学校という発想そのものが、脱公教育ですが、不登校児の受け皿となると、さらに脱公教育色を強めることとなります。公教育を批判することが、フリースクールの存在となる。そんな傾向がなきにしもあらずでした。

新人類型フリースクール

 1995年あたりを境に、フリースクールが変容しました。そのころは、教育大学の学生、あるいは教育学部の学生が、最初から学校の先生ではなくフリースクールを目指すケースもふえてきました。彼ら、彼女らは、サマーヒルに関心は薄く、サマーヒルをモデルと考えない学生が目立ってくるようになりました。彼ら、彼女らは、反公教育という発想も薄いです。では、何をよりどころとしていたか。「大自然」ではないかと思えます。大自然が、教育である。そんなニュアンスを感じました。

 たしかに、サマーヒルをモデルとしたのは、ある年代(1960年代生まれ)以上で、新人類たちは、別の価値観をもっていたようです。

 旧人類にあたる私には、とても新鮮で、とても不思議をもって接しましたが、ほぼ同じ時期にであったホリスティック教育を理解し、納得できました。対立から、調和へ。パラダイムが、動きます。



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