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60年後も通用する教育を始めよう!!

すでに、新しい教育の萌芽が・・・

ホリスティック教育の体系

『ホリスティック教育入門』(柏樹社、1995年)所収の吉田敦彦氏の「ホリスティック教育理論の射程」を引用しました。同書の該当ページを示しておいたので、ぜひ参照してください。

bk1で詳細表示 『ホリスティック教育入門』
(ホリスティック教育研究会編/柏樹社/1995年4月)

ホリスティック教育宣言

 まず、「ホリスティック教育宣言」は、つぎのように要約できる。(P.114)

(1)現在の環境問題を引き起こしている自然支配型の産業文明は、主観と客観とを二元論的に裁断する認識図式、要素還元主義的分析的アプローチにによって理解された機械論的世界観、及びそれと結びついた目的合理性に貫かれる技術論的操作的思考に立脚していること。

(2)それと同様に、近代的教育システムが露呈している複合的な原理も、根本的にはそのような特殊近代的な知の枠組みに根ざしていること。

(3)したがって教育の転換を、末期症状を呈している近代文明の転換に呼応しつつ行うには、システムに対する個別的な対症療法や延命治療よりも、まず教育を理解している知の枠組みそのものを転換する根本治療法が必要であること。

(4)そのために、それへ向けて転換すべき代案を「ホリスティック」と呼びうるパースぺクティブに求め、その観点から教育の意味と課題を読みとり直してみること。

1.ホリスティック教育の基本的前提

 教育のプロセスにおける全体性 wholenessが大切にされなければならない。……ホーリズム Holism が前提としているのは、この宇宙はひとつのまとまりをもった全体であり、その中ですべての存在はつながり合っている、という命題である。

〈ホーリズムの5原則〉
(1)宇宙は根源的に1つのもの(一如)であり、あるものが他のすべてのものとつながり合っているのがリアリティ(実在の実相)である。
(2)その宇宙の統一性と、一人ひとりの内なる真の自己ないし、高次の自己は、深く結びつき合っている。
(3)その〈つながり〉は、心静かに魂と対話する黙想や瞑想によって直観的に洞察できる。
(4)価値や意味は、このリアリティに目覚め、その〈つながり〉を自覚するところから生じてくる。
(5)社会の不正や困難に立ち向かう不屈の行動は、この〈つながり〉が人間において自覚されるときに生まれる。 (P.116-7)

 以下で論じられる内容は、これまでの日本の教育学分野での言説と照らしてみて、それほど新しいものではなく、古いパラダイムの枠を越えた知見が近代の教育学の中でも蓄積されてきている。しかしこれまで、それらの個別の知見を読み取って理解する知の枠組みを共有することができず、したがって一般に、それらは十分な説得力を持てないままであった。ホリスティック教育論の意義は、その理解の枠組みを与えることにある。つまり、それがめざすのは、これまでの教育学の遺産に何か新しい見解を一つ付け加えることではなく、近代の限界を越えようとする様々な教育学の諸説を、機械論的パラダイムから、ホリスティックでエコロジカルなパラダイムへの転換という大きな見取り図に乗せることによって、それらを包括できる視座と一貫した見通しを生み出していくことにある。 (P.118-9)

2.人間性の開発

 人間性は、個々の独立した人間が所有している特性として理解するのでなく、自己と他者との「あいだ」、自己と世界との「あいだ」、の関係性に実現されるとみる。 (P.120)

 人間性は、経済中心か人間中心かと、二者択一的に人間の生のある側面にだけ焦点をあてるのではなく、ある側面と他の様々な側面との間の調和的な関係に目を向けることである。 (P.121)

3.個性の尊重

 個人と全体を二元論的に裁断して、個人主義が全体主義かと二者択一的に考えるのでなく、個人と全体との間の関係性に注目することが大切である。 (P.122)

 個性尊重の教育とは、一人ひとりが全てのことをできるようになる自己完結的な 自立ではなく、持ち味を生かし合い、足りないところは互いに補い合う関係を築いていくことのできる、いわば相互依存的な自立とでも呼べるものである。それはあたかも、エコロジーが教えるように、モノカルチャーな単相林よりも、雑木林の方が、環境の変化に柔軟に対応できる。 (P.123)

 評価活動そのものは否定しないが、結果が原因に影響し新たに更新された原因がまた次の次元の結果を生み出していく因果循環的なシステム論的モデルにおいては、教師と生徒が相互に影響を与え合いながら学習プロセスが全体として螺旋的に進化していく。このような循環的な因果連関を可能にするのが、結果から原因への絶えざるフィードバックであり、学習過程においては、教師と生徒の双方における評価活動にほかならない。 (P.124)

4.経験の中心的役割

 自己と世界との関係の構造が質的に転換するような劇的な学びを生み出すのは、あらかじめ教師の側で用意された系統的なプログラムが破られる「出会い」の体験を通してであろう。「出会い」の特質は、可逆性ではなく不可逆性が、秩序ではなく混沌が、受動性ではなく自発的活動性が、普遍性ではなく特異性が、繰り返しではなく唯一性が、必然性ではなく偶然性が優位になることである。 (P.126)

 単に合理的・分析的・言語的な認識だけに偏るのではなく、多様な感覚や認識力を総合的に活用することを中心的な主張のひとつとし、直観的、イメージ的、美的芸術的な右脳も活用した全脳的な学習をめざし、ヒューマンポテンシャルやトランスパーソナル心理学の流れも合流していて、黙想や瞑想などを通した意識と無意識の対話が全人教育の課題に含まれており、ヨガや座禅の実践報告もある。(P.127)

5.新しい教育者像

 出会いの場としての学びの場は、局所的な閉じられた空間である学校だけにあるのではない。またそれは、人生の若年期だけに限られるものでもなく、生涯にわたるものである。「家庭も職場も公園も大自然も」、すべての場所が学びの場であり、人生の随時随所で出会うすべての人が教育者であり学習者である。学校こそが唯一正統な機関であり、学校教師こそが教育の専門家であるとする見方が問われている。 (P.128)

 教育の主体と対象を二元論的に区別するのでなく、教育の真の主体は、教育者でも学習者でもなく、両者のあいだの関係性、両者がそこで向き合い対話する場そのものにある。そして、主客が交互に交代しつつ、循環的螺旋的に学習が深まっていく。こういった「自らも学びつづける教育者、子どもに学ぶ姿勢のある教育者こそが、より教育的な教育者である」という主張じたいは、なんら新しいものではない。ホリスティック教育論の意義は、上のような主客二元論を越えた関係論の文脈にそれを乗せることで、それを正当に位置づけることのできる理論的枠組みを提供することにある。 (P.129-130)

6.選択の自由

 強制の対極は自由ではなく、つながりである。 (P.131)

 自由といっても、手放しの自由ではなく、「選択の自由」である。自己が自己を越えるものとつながりの中にあるときにはじめて、そのつながり方を選択したり更新したりする意志が生まれる。つながりの豊かさ、関係の持ち方の多様性としての、意味のある多様な選択肢が生徒の生きる場の中に用意されていなければならない。「管理」か「自由」か、そして「自由」か「放任」かといった問題を解く鍵がここにある。 (P.131-2)

 平衡秩序から遠く離れた現状にある近代学校システムには、内向きの管理統制の強化によって平衡を維持しようとするのではなく、さまざまな教育形態への開かれた対応と、内部のゆらぎを許容する柔軟さが求められる。 (P.133)

7.参加型民主主義への教育

 近代の代議制と多数決による民主主義のシステムは、自己更新を迫られている。少数者、少数意見の尊重、国家レベルでの一元的な中央集権ではなく権限の多様なレベルへの分散、参加型の草の根民主主義の拡大などが必要である。 (P.134)

 近代市民社会がいわゆる「万人の万人に対する個人的、私的利益の闘争の場」であり、民主主義は、自由にして独立な市民の利害を調節する機能であるとすれば、出発点でまちがっている。ホリスティックな立場では、「自己は他のすべての存在者との相互依存関係において在る」かぎり、自他の利益は基本的究極的には一致するはずであり、そのつながりの自覚を通して自他が共有する利益に目覚めることが可能であるという前提から出発しようとする。 (P.134)

 したがって教育の課題としても、近代が称揚してきた批判的思考力や説得的な自己主張能力以上に、共感的な理解、他者の要求に耳を傾ける力、他者の痛みを自分の痛みと感じる感受性などを重視する。それは、共感的理解を土台にした批判的思考を求めていると言えよう。 (P.135)

8.地球市民教育

 異文化を理解する上で大切なことは、単に違いを違いとして認め合い、多様性を承認すること(文化相対主義)を越えて、相互の開かれたコミュニケーションの通路を保持しつつ、違いの奥にひそむ普遍性をさぐることである。そのことによって、その普遍性を独自の仕方で表現する文化の個性を保持したまま、多様な文化が共存できる可能性が生まれてくる。それは、自民族中心主義も、文化相対主義も、脱文化的な普遍性(文化の多様性が失われた一元的な人類文化)も、超越するものである。 (P.136-7)

9.地球生命圈の教育

 環境問題やエコロジーの原理を核に、統合的な学習を進めていくモデルが提案されている。「相互依存性」「多様性」「限界包容力」「変化と適応」「競争と協力」「循環」といった生態学や生物進化論の鍵概念を、経済、政治、歴史などの社会的事象へ応用する可能性についても論じている。環境教育は、ほとんどの分野にまたがるものであり、これまでの細分化された教科体系を揺さぶるものである。(P.138)

 「〈いのち〉への畏敬」が、教育の原点であり究極の目的でなければならない。ホリスティック教育を一言でいえば、「〈いのち〉の教育」である。 (P.139)

10.精神性と教育

 ロン・ミラー氏は、次のように精神性を説明する――ビッグバン以来の宇宙の創造的進化を導き、それじたい、調和的で欠けるところがなく、しかも実体的には理解できない、つまりは全体を見渡すことのできない暗黙の隠された秩序、いいかえれば、すべてをつなぎ合わせ、創造的に世界を生成する関係性そのもの、あるいはその関係を創造的に進化させている原理そのもの、それを精神性と呼ぶ。さらに、ユングの「普遍的無意識」やマスローの「高次の自己」などの心理学の概念や、諸々の宗教的精神的伝統の中の超越的存在との関連を指摘している。  (P.140)

 ここでいう精神性は〈いのち〉ともいいかえられるが、教育とは、この大いなる〈いのち〉の流れに参入し、人間という形をとって〈いのち〉が生成してくる場に立ち会い、それに自覚的に関与する営みだととらえられる。 (P.142)

ホリスティック教育論に対する疑念や反論

(1)全体主義的傾向。
(2)主観主義・精神主義的傾向。
(3)反知性主義的傾向。
(4)「パラダイム」への安住傾向。
(5)批判的精神の欠如傾向。
(6)新たな自然科学信仰の傾向。
(7)直線的決定論的歴史観。
(8)予定調和説/普遍的絶対的価値基準の承認。
(9)人間性の楽観的肯定。
これらの論点をつめることが、ホリスティック教育の理論を練り上げていくには、大切である。



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