この章では、教育の現状と動きを見てみたいと思います。その前に、どういう視点で教育を見渡すか、と考えてみます。
前の章で、「調和」というキーワードを提示した後、インターネットについて言及しました。インターネットは調和なのか? 世界中がつながっている状態は調和と言えそうですが、静止状態での調和ではなく、大きく激しく流動し変位しつつある状態でのバランスです。
インターネット上の情報を、Webページで考えてみます。ネット上の位置(座標)は、URLで表されますが、こいつがまた、コロコロ変わります。プロバイダーを変更したとか、違うページと統合したとか、分割したとか、閉鎖したとか。または、トップページのURLはそのままだけど、下層の構成を変えたので、URLが変わったとか(相楽ねっともこないだ大幅リニューアルしたので、トップページ以外、ほとんどのページのURLが変わりました)。相楽ねっとのように独自ドメインを持っていたら、とりあえずトップページのURLは半永久的に変わらないはずだけど、サーバを変えたらIPは変わります。それに、実際には、独自ドメインもけっこう変わるところが多いです。となると、「位置」によって情報を特定することは困難というか、不可能です。
位置が変わらなくとも、内容が変わることも多いです。ジャンルが変わることも。そもそも複数のジャンルにまたがっていて、「ジャンル」という概念をあてはめられない情報も多いです。内容やジャンルで情報を特定することも、不可能です。
Yahoo!のようなディレクトリサービスは、少なくとも内容やジャンルが固定していると仮定して(位置も固定している)情報を扱います。Googleのようなサーチエンジンは、固定した要素を持たない情報を扱います。だから、Yahoo!が扱う情報はインターネットの中の一部です。それはあたかも、Yahoo!=ユークリッド幾何学、Google=非ユークリッド幾何学と連想させます。
流動し続ける情報が、世界中でつながりあっているという構図は考えれば考えるほど不思議で神秘的ではありませんか。どんな情報が、どのように位置を変えても、内容を変えても、インターネットは壊れない。ふつう、調和は固定した要素を考えがちですが、「つながり」という概念には固定は必要ではなく、むしろ、生々流転の要素が不可思議につながりあった枠組みこそ、美しく、完全で、強固な調和とは言えませんか?
前の章でふれた、非ユークリッド幾何学はまさにインターネットのような枠組みに通じ、弁証法はまさに「不可思議なつながり」に通じるでしょう。「不可思議なつながり」という表現は、固定した枠組みで捉えられない、つまり既成の概念では把握しがたいという意味です。ネット上の情報を整理したり目録作りをしたりマップ作りをしようと、さまざまに試みられてきましたが、うまくいきません。それは、「固定しないから」に尽きるでしょう。そんな中、Googleは、固定を排し、つながりのみに着目した「ページランク」という手法で、インターネットの枠組みをとらえることに成功しました。もっとも、成功したといっても、入り口に立ったという段階でしょうが。
東京大学の「知の構造化プロジェクト」についてもふれましたが、構造化を成功させるポイントは、Google的な発想にあるのではないかと考えます。東大のえらい先生方を差し置いて素人考えを述べるなど、畏れ多いことですが。知的情報も、固定化して考えるのではなく、万物流転を原則とした方が、無限の発展も、永遠の進化も、どんな複雑化も、いかなるカオスも、どんな公理系も吸収できてしまいます。
子どもたちへの教育も、「つながり」を最重要視せねばならないのではないか。それこそが、21世紀の教育ではないかと、強く確信するのであります。そして、これこそが、このコーナーのテーマでもあります。なお、念のために申し上げますが、「つながり」は学級の中でのみ実現され追求されるものではありません。学級という閉じられた枠組みではなく、開放された枠組みで捉えねばなりません。したがって、学級の生徒数と「つながりの教育」は、さして関係のないことです。