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60年後も通用する教育を始めよう!!

Stop!!学校つぶし!!

公開質問状 回答への返信(2004/8/9)

2004年8月9日、教育長へ「公開質問状 回答への返信」を提出いたしました。

(本状は回答を求める文書ではありません。しかし、反論・異見があれば、慎んで承ります。教育長様のご回答は、合理性を欠いた記述や論旨のねじれ、主張の矛盾が随所に見られ、全体として理解の困難な内容です。したがいまして、新たな質問はしないものの、教育長様の主張の総括はぜひともしていただかねば、せっかくのご回答を、有名無実のものであると判断せざるをえません。末尾の総括につきまして、2004年8月23日までにご返信いただきたく存じます)

南山城村教育長殿

2004年8月9日

 2004年7月20日付けの、私から教育長様宛「公開質問状」に対するご丁寧なご回答を、2004年8月4日、郵便にて拝受いたしました(消印は3日)。10ページにわたって詳細にお答え頂いたことにつき、深く感謝申し上げます。

 回答文全般にわたり、抽象的またはあいまいな表現が非常に多く、また、つじつまの合わないところも散見されます。しかし、教育長様もおっしゃられているように、できうる限り、教育長様の言葉を「信頼」し、前向きに受け止めていきたいと思います。そして、回答に対する感想と、未来へ向けての総括を行いたいと思います。

前文

 私が提出させて頂いた「公開質問状」は、村の教育行政の最高責任者であられる教育長様に対し、公務の重要案件について基本的なことがらを質問させて頂いたものです。

 教育長様は、私が教育長様や教育委員会をいじめようとしているとお考えになっていらっしゃるフシがうかがえます。しかしながら、7月20日にお渡しする際、「そもそもこのような質問状を私が作成し提出しなければいけないことじたいがおかしいのです」と申し上げました。私が質問するまでもなく、教育委員会の方から、情報提供されてしかるべき内容ばかりだからです。

 そもそも学校の統廃合を検討始める際には、
1 教育の専門家を交えた研究チームを作り、教育の現状・政策・課題等を研究する。
2 専門家を交え、村の中長期的教育ビジョン・基本計画を策定する。
3 村として現実にとりうる選択肢を数パターン用意し、それぞれシミュレーションする。
4 上記1-3の結果を村民に広く情報公開し、意見を募る。
5 各地域で何度も会議を開き、意見を集約する。新規の提案は、3へ戻って検討。
6 具体的な方針を定める。
7 専門家を交えて、どのような学校がよいか、「教育を基本に」検討を重ねる。
8 基本計画に基づき、設備・備品を整備する。

こういった段階が踏まれねばなりません。南山城村の場合、いかがですか? 

1 一村一校にしよう。
2 とにかく、金を使って目立つ建物にしよう。
3 とにかく、つくってしまおう。
4 とにかく統合してしまおう。
5 平成17年度に野殿童仙房小学校を統合しよう。

こうではありませんか?

 村は、「一村一校」以外の選択肢をもっていませんね。教育長様はおっしゃいます。

何を根拠に強引な押しつけなどと言われなければならないのか意味が分かりません。
 また、質問状の文中に「災禍をのがれ」・「葬り去ろうとしている」・「統合を強行し」・「隠蔽体質」等々の文章表現がされていますが、何故こうした中傷めいた表現で質問を受けなければならないのでしょうか

 一つしか選択肢がないなら、どんなに穏やかに進めたところで、「押しつけ」でしかありません。「押しつけ」を否定するなら、複数の選択肢を持ち、それぞれを均等に検討するのでなければ、意味がありません。現状は、一村一校という選択肢しかありません。「いつ一村一校を実現するか」という問題は、押しつけの言い換えでしかありません。それは、議論ではなく、説得でしょう。

 これはすなわち、野殿童仙房小学校の廃校を目指すことと同義であり、「葬り去ろうとしている」という表現はまことに正しく、現在唯一の選択肢をとらずにいる野殿童仙房小学校は、「災禍をのがれ」と表現するのが、まことにふさわしいです。そして、どのようにして「一村一校」などという「唯一の」方針が決定されたのか、情報は開示されていません。情報を隠蔽していないというなら、「情報がない」すなわち、何も考えていないということになるのでしょうか。

 政治・行政の課題を、道理を持って論じることが「中傷」であるというのは、言論を封殺する言葉狩りにも等しい言いがかりです。ぜひとも、「社会の仕組みやルール・マナーそして」法「への信頼と言うものをご理解」いただきたく存じます。

現にこの公開質問状につきましても、何の前ぶれもない突然の質問でありましても対応させて頂いております

 この言葉も、噴飯ものでございます。質問するのに「前ぶれ」が必要とは。即答できて当たり前の質問に対し、2週間もの期限を設定したのは、他の公務に支障なく、ゆうゆうと回答を作成するに余りある充分な期間を考慮したからです。村民として、教育委員会は教育のことをじゅうぶん研究し、教育を考えて教育行政を行っていると、信じたいのです。行政機関が、公務上の質問に答えるのは、極めて当たり前のことと思いますが、南山城村教育委員会は、そうではないのですか?

 しかしながら、私は教育長様を、「信頼」させて頂きます。すなわち、私の発言は、中傷なのでしょう。すなわち、教育委員会は、一村一校以外の選択肢も合わせもち、それらの実現性を真摯に検討し、住民に情報開示するはずです。期待しています。私は、喜んで、悪役を引き受けましょう。

 なお、たとえば回答の前文第1段落に、「“のびのび'と学び“いきいき'と遊ぶことのできる学校整備が必要であると考え」とありますが、「のびのび」「いきいき」が具体的に何を言うのかわかりません。「少子化等により将来を展望するに至って」とあるのは、将来をどのように展望したのか、これもわかりません。以後、終始、あまり意味をなさない文言が多く、教育長様の主張の真意を測りかねます。したがって、教育長様の趣旨を最後に総括したいと思います。

1.「ゆとり教育」「総合的な学習」への評価(1,2)

 所轄官庁の基本方針を深く理解し、村政に反映させることは、どんな部署においても、基本中の基本です。

 ゆとり教育につき、単に時間のゆとりがでてよかった。総合的な学習につき、子どもの成果をみて意義の深さを知った。こういう浅薄な理解にはがく然とせざるを得ませんが、文部科学省もこの文面を見ているだろうとの遠慮から、こういった差し障りのない表現にとどめられたのでしょう。時代の推移、教育の動向、国の政策の変遷を、とうぜん、深く理解されていますよね。在野の素人が言うべきことではありません。失礼しました。

2.文科省、府教委と、村の教育は整合している(3,4)

 「村が進める教育の方針は文部科学省並びに京都府教育委員会の進める教育方針を基本としており」とのこと、たのもしく、うれしく思います。文部科学省や京都府教育委員会が必ずしも正しいわけではありませんが、昨今の激動期において、パラダイムシフトを見極め、アグレッシブな新機軸を提案し続ける文科省と府教委には、相応の合理的妥当性がうかがえます。村教委がしっかりした時代認識をもち、文科省・府教委の政策をフォローするのは、まことに賢明です。教育委員会のご尽力に感謝申し上げます。

 ところで、「3.文部科学省の方針と村教育行政の整合性」の末尾、「統合小学校で野殿童仙房小学校のものと全く同様の学習をすることは出来ませんが、工夫次第ではそれと同様の或いはそれ以上の教育効果を上げることも可能ではないかと考えております」につき、現に実現されておらず、将来にわたっても実現されるプロセスが明らかにされていない以上、この「想定」は無効です。もっとも、思想信条の自由により、「考えて」おられるのはいっこうにかまいませんが。

3.野童小への理解(5)

 野殿童仙房小学校の教育に並々ならぬ理解をお寄せくださっていることに、感謝申し上げます。

独立校として今後とも存続するのであれば続けていけばよいことであると思いますし、大切なことは「特色ある学校づくり」をしていくための考え方であり、プロセスであり、それを通じて何を学び取るかではないでしょうか。

 まさに、その通りでありましょう。特色ある学校づくりをしていくための考え方、プロセス、それを通じて何を学び取るかは、一朝一夕になるものではなく、長年の積み重ねによって実現しうるものです。よって、野殿童仙房小学校は廃棄すべきではありません。

 韓国交流について、微妙なお答えをなさっていますが、少なくとも、保護者の中には「教育委員会が妨害している」と感じている方が少なくなく、教育委員会との見解の乖離は小さくありません。妨害かどうかは、価値判断にゆだねられる問題でもあり、一意に決するのは困難でもありましょうが、父兄との認識の乖離を埋める努力は求めたいと思います。

4.財政事情(6)

 村が財政事情を絡める話をしたことはないと記憶しています。ただし、世間の人たちは、「お金がないなら統合も仕方ないかも」と軽率に言いがちです。そのようなことはないと断言してくださる教育長の言葉は、勇気百倍です。

しかしそれ(財政事情)だけの理由で統合を進めようとしているのではないことを改めて明確にしておきます。

 ところで、南山城小学校の、パソコンを始めとする各種無駄遣いは、おいおい、別の場で明らかにされていくでしょう。ここでの深追いはやめておきます。

 この章において、非常に気になる箇所がありました。

高尾小学校や野殿童仙房小学校では、現在複式学級があり将来複々式学級が発生する恐れがあること。

 「恐れ」と表現されていますので、「複式学級」「複々式学級」が好ましくないものと理解されているようです。その理由は明らかにされていませんので、不明です。

子ども達が大人となって社会で生きていくためには、他人の持つ様々な価値観をよく理解しお互いに尊重しあって生きていくことも重要です。このような生き方は小さいうちから身につけていく必要があり、小学生のうちから集団の中で教育を受けていく必要があります。

 だからこそ、小規模校の野殿童仙房小学校がよろしいのでは。私は、質問状において、こう書きました。

 共生型の社会性であれば、人数の多少は問題ではなくなる。なぜなら、異質な個の受容の仕方が問題であって、異質な個は同級生であろうと、高齢者であろうと、先生であろうとかまわない。クラスメイトが多いということは、受容すべき異質な個の異質さの度合いが小さいとも言える。ならば、逆説的に、少人数学校の方が、共生型社会性を学ぶ機会が大きいとも言える。

 教育長様の発想は、同質グループ内における人数を問題にしており、「様々な価値観を理解し尊重する」社会性からは逆行しています。

 また、統合小学校の設備に関しましても、

統合前の老朽校舎の維持費と整備された統合校を単純に比較して統合校の維持費が高いと言うのは無理があります。

という教育長の御説にこそ、無理があります。統合校の設備は、「教育上」必要で有効なものを整備しての結果であるならともかく、ただ単に金をかけただけの設備は、「無駄」としかいいようがありません。パソコンがいい例です。

5.少人数が不利という妄想(7)

(1)少人数では社会性が育たないという妄想

(2)少人数では競争が育たないという妄想

(3)少人数では教え合う機会が少ないという妄想

 これらに対する回答は、せっかく教育長様を、なんとかかんとか信頼しようと努力してきた私を、奈落の底に突き落として余りある、絶望的に時代遅れな内容です。自宅にこもりがちな不登校児は社会性が育たないとお考えでしょうか? 教育長様の見識を疑ってやみません。教育長様の論理は根拠をあげずに「思う」「考える」と展開されており、しかも、論理の整合性・精細さを欠いています。教育長様のような「教育観」は、過去において一定の支持があったのは事実でしょうが、昨今の時代の変動期にあって、もはや通用しないものとなりつつあり、その文脈において文部科学省は「ゆとり教育」「総合的な学習」を打ち出しています。「ゆとり教育」「総合的な学習」を表層的に観じてはなりません。時代のパースペクティブに位置づけ、パラダイムシフトと関連づけてこそ、教育のあるべき姿が浮かんでまいります。子どもたちは、これから先、60年ほど、社会の現役であるでしょう。過去の教育観で対してはならぬはずです。教育長様がここで書かれていることは、ゆとり教育とも、総合的な学習とも、齟齬をきたします。

学校教育法施行規則によれば小学校の学級数(17条)は、12〜18学級を標準としています。1学級の児童数(20条)は、50人以下を標準としています。

という法令の引用は不適切です。当条文は、戦後まもない時期のベビーブームにおいて、教室が足りなくて困っていたころにつくられたもので、しかも第20条は、平成14年4月1日に削除されています。かわりに、同日付で、「小学校設置基準」第4条において、「一学級の児童数は、法令に特別の定めがある場合を除き、四十人以下とする」と定められました。文部科学省は、少人数学級、習熟度別学習を推進しており、また、後述のように小規模校への理解もあり、「12〜18学級」を支持する政策を続けてはいません。

 教育長様は当然ご存知だろうと思っていましたが、もしかすると、ご存じないのかも知れません。他地域の「学校統合反対運動」におきましても、必ずといっていいほど引き合いに出される論拠があります。

 Webサイト「浦里小学校を守ろう」(http://www.janis.or.jp/users/urasato/)の中の、「地域と学校を考えるフォーラム」(http://www.janis.or.jp/users/urasato/koen.htm)に公開されている講演「学校統廃合と教育効果」(千葉大学教育学部教授 三輪定宣先生)に、貴重な指摘が随所に散りばめられています。要点だけ申し上げますと、

1.1973年(昭和48年)文部省は、「公立小中学校の統合について」という通達で、学校の統廃合にブレーキをかける方向に転換し、学校統廃合には3つの原則を踏まえるべきだと明記した。
(1)無理な統合を行い、地域住民との間に闘争を生じるようなことは避けること。
(2)小規模校に先生と生徒との人間的なふれあいや教育上の利点も考えられるので、総 合的に判断して、なお小規模校としてそのまま残し、充実するほうが望ましい場合もある。
(3)学校の持つ地域的影響を考えて、学校の統廃合は地域住民の理解を得て行うべき。

2.「コールマン報告」という、1966年にアメリカ政府が65万人の生徒を対象として行った史上最大の教育調査がある。「こどもたちの教育効果を決定づけるもっとも大きな要因は、教育課程や教材、教師の能力ではなく、学校規模であり、それが小さければ小さいほど高まってくる」と結論。

学級規模と達成度、情意面、教師の満足度

3.コロラド大学のグラスとスミスという教授が過去50年間、約300校をサンプルをもとに、学力との相関関係を統計学的に分析し、グラフ上に曲線として表した。それによれば、全体的にみて「学級規模の小さいほど学力が高い」という単純な曲線となる。 (右図)

4.WHO(世界保健機構)が、世界各地から「学校規模と教育効果」に関する論文を集め、多面的に分析し、その結果をひとつにまとめて発表した。結論は「教育機関は小さくなくてはならない。生徒100人を上回らない規模が望ましい」というもので、世界中の多くの研究論文が一致した結論が「100人を超えない学校」こそが、人間を育てる最適規模であるというものだった。

5.日本教育学会が文部科学省の科学研究費で調査し平成12年に発表した統計がある。いじめや不登校などの学校問題は規模と比例する。つまり学校が大きくなればなるほど学校問題の発生率が高くなる、という結論だった。

6.学力(8)

 学力の担保において最も重要なのは、カリキュラムや評価方法そのものではなく、マニュアル化することの難しい、文化や風土といった部分であり、そのために文部科学省は総合的な学習を前面に打ち出しています。

今までのような単一的な見方でない統合的な多様性のある力量を学力「確かな学力」としています。

という教育長様の見解は、まことに重要な指摘を含んでおり、ゆとり教育も、これを実現するためのプロセスであるといっていいでしょう。文部科学省の様々な文書を拝見しましても、そう考えることが理にかなっています。多様性、共生、共存共栄、あるいは、ホリスティック、非ユークリッド、知の綜合化などと同じベクトルをもつパラダイムであると言えます。

 しかるに、一定の規準化できないこういった次世代パラダイム(いずれ規準化はなされるかもしれませんが)を指向する学力は、「全国どこの教育を受けても一定水準の教育が受けられる」(教育長様の言)という均質性を保持することが困難であり、文部科学省はゆとり教育の推進で、水準を低く設定し、「ゆらぎ」を大きくとれるようにしています。すなわち、「どちらの学校であっても教育の内容や評価においては、大きくは変わらない」ということは、今後ますますあり得ない状況を強めていくことでしょう。

7.南山城小の教育(9)

 「独創的で実効性のある」はさておき、「教育目標を立てて」については、詳細な報告をありがとうございました。「実践しているか」については、とくに具体的な提示がなく、保留とします。

 統合が打ち出された過程において、教育論が欠落していたことは、すでに何人もの方が認めており、この点についての言及は一切なく、教育そっちのけで建物ばかりを論じてきたことも黙然し、開校後の「教育目標」をならべて「教育なき学校」は冒涜であると飛躍した論を展開されましても失笑するのみでございます。

 しかしながら、冒頭で申し上げましたように、最大限、教育長様を「信頼」したいと思います。つまり、冒涜であると言う以上、南山城村は「教育」を基本に据えた教育行政を行っており、今後も、「教育」を第1に考え、教育行政を行っていくとの意でございましょう。その点につき、後ほど「総括」をお願いします。

 なお、このずらりと並んだ教育目標、どこかで見た気が・・・と思い、「基礎基本の確実な定着」「自他の生命や人権を尊重する心」などのフレーズでWeb検索しますと、よく似た教育目標や校長先生のあいさつがたくさん出てまいります。「やさしく・かしこく・たくましく」にいたっては、さらに共通しています。他校とよく似た教育目標を掲げることは悪いことではありませんが、南山城小学校の独自性を発揮していくにはなかなかたいへんではないかと、先生方のご苦労が偲ばれてなりません。

8.一村二校の合理性、実現性(11,12)

 「10.一村一校の非合理性」については、前述したとおり、近年の教育観で再考して頂きたいと思います。

 通学区域なき一村二校の提案については、

広い校区の南山城村では通学区域や通学方法を考えるとき「一村二校」(学校選択制)は、けっして合理的とは言えません。

と、簡単に話を切り上げておられますが、「合理的」というのは、単に通学でしか論ぜず、教育上どうか、という検討はまったくなされていません。そして、一村二校の実現性については、5項目をあげて、「実現は、非常に難しいものと考えます」と結論づけていますが、難しい理由はすべて、行政の事務手続き上の問題であって、教育とは別の話です。しかも、一村一校の実現は、いかに大金がかかろうとも、どんな障害があろうとも、万難を排して邁進しているのに、この差はいったいどうしたことでしょうか。

 しかも、教育長様は、「冒涜」と言う表現でもって、教育委員会が教育を基本として行政を行うことを明言していますが、そのことと重ねますと、一村二校に関して、教育上の検討が全くなく事務に終始した末の「難しい」と言う結論は、まったく無効であると断ぜざるを得ません。

9.住民総意の形成(13)

 無理に進めない、強行はしないとおっしゃいますが、たったひとつの選択肢しかなく、「平成17年度からの統合をめざす」という目標設定までされていて、矛盾とは思われませんか?

一度も情報の提示や説明を求めたこともない方が、いきなり質問状を出して来られる前に、対等の立場で議論をしようとすることが出来なかったのか非常に残念に思います。

 通学区域なき一村二校は、村長、前教育長、教育次長に申し上げました。それが教育長様に伝わっていないなどとは、驚きです。教育委員会として、まったく考える気がないということでしょう。何度も申し上げたことが平然と無視され続ける状況で、「対等な立場での議論」など、どのように成り立つのでしょうか? 「いきなり質問状」などという表現は、まさに住民への冒涜であり、住民の意見を聞くという教育長様の繰り返される発言を自ら汚していると言わざるを得ません。このあとの「総括」を願います。

 なお、質問状と回答は、まさに「対等の立場で議論」しているのであり、関係者も共有すべき基本事項であるがゆえの公開であり、教育委員会が積極的に公開すべき事項であるにもかかわらず、私などがわざわざ手間暇かけて公開しないといけなかったことこそ、残念でなりません。

10.一村一校という教育の機会不均等(14)

 教育基本法第3条「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって」を引用されておられますが、まさにこのことを教育長様にも、十分かみしめて頂きたく存じます。

 教育長様は、教育の機会均等と設備の機会均等とを混同されています。「適切な」設備が教育を助けることはあるでしょうが、設備が教育を行うことはありえません。教育とは、地道な日常の積み重ねの上にこそ花開くものであり、「その能力に応ずる教育」に応えるには、複数のタイプの教育が必要であることは議論を待ちません。

総括

 以上で、回答への感想を終えますが、私が願って止まないのは、南山城村の教育行政の発展と、子どもたちが時代の激動期を乗りきって、新しい時代を切りひらいていってくれることです。そのことが、南山城村の繁栄と安寧につながりましょうし、ひいては日本国発展への貢献、世界平和への貢献につながっていくものと、希望を抱いています。きっと、教育長様も、同じお気持ちではなかろうかと拝察し、以下の3点を確認させて頂きたく存じます。冒頭にも書きましたように、2004年8月23日までに、お返事頂きますよう、お願いします。

1.教育を基本に据える

 教育行政は、あくまでも教育が原点でなくてはなりません。そして、子どもたちが主役でなくてはなりません。けっして、おとなの都合を優先させることなどあってはなりません。

 そしてまた、教育をとりまく状況は刻一刻と変化し、それへの対応も急務です。文部科学省の政策がコロコロ変わるとの批判もありますが、それはつまり、文部科学省が真摯に時代の変化へとり組んでいる証左ともいえるはずです。

 統合問題に関しては、どうみても教育が基本に据えられているとは言い難いです。しかし、教育長様は、一蹴して頂きたい。「そのようなことはお前が言わんでもわかっておる。新しい教育情勢への研究は寝食を忘れて日夜とり組んでおり、あらゆる角度から検討を重ね、行政を行っている。南山城村の子どもたちの未来は、まかせなさい」と、言い切って頂きたい。

2.選択肢を複数もつ

 今この場で、一村二校にせよとか、一村一校を廃棄せよなどと言っているのではありません。教育長様は、何度も何度も、押しつけでないとか、住民の意見を聞いてとおっしゃいますが、それには、複数の選択肢がないと、実効性を伴いません。現状では、住民の意見を聞くのではなく、「住民の意見を聞き流す」といえるでしょうし、おしつけなくとも押しつけと同じ結果が出るよう動いているといえるでしょう。「そんなことはない」と、断じていただきたい。そして、自らの言葉に責任をもって、複数の選択肢をもち、教育を基本として研究して頂きたい。通学区域なき一村二校は、選択肢からはずれる理由が何もなく、選択肢に加わることは当然の帰結でありましょう。

3.野童小存続する限り、支援を

 これもまた、あたりまえのことですが、野殿童仙房小学校が存続する限り、南山城小学校と同等の支援と発展を約束して頂きたい。支援とは、必ずしも「お金」ではありません。では、何が支援になるのか。教育を原点に据えれば、自ずから答えは見えてきます。

 教育長様は、回答中において、野殿童仙房小学校に深い理解と共感をしめされました。その言葉が虚しくならぬよう、慎んで表明を承りたいと思います。

(以上)

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