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童仙房物語/童仙房で暮らし始めた

童仙房は桃源郷

はじめて歓迎してもらえた

遠景
のどかな南山城村

 南山城村へ来てみたものの、はて、どうしよう?

 国道163号線沿いに、南山城村役場がある。役場の1階に、商工会の看板が見えた。いままで、役場へ「ここに住みたいんですけどぉ」と言っていっても、まともにとりあってもらえない経験を積み重ねてきているので、役場ではなく、商工会へ足が向いた。

 もちろん、知っている人など、いない。とりあえず、ドアを開けて入ると、4人が、いっせいに私を見た。

「あのぉ、このへんで住めるところを探してるんですけどぉ・・・」

 次の瞬間、3人の方がほぼ同時に名刺を差し出してくれて、「うちで仕事するんやったら、住むとこはなんとかしたろ」と、口々に言ってくださった。自慢じゃないが、住みかを探し続けて、名刺を頂いたのは初めてである。もう探すところはなくなったとあきらめかけていただけに、ツーアウト満塁カウントツースリーからの代打逆転満塁サヨナラホームランの心境であった。

 なーんと、いい村に巡り会えたものだ。ここなら住めるだろう。

 田舎ぐらしといえば、牧歌的なものとイメージする人は多いようだが、私にとって、そんなことはどうでもよかった。日々生きることと、牧歌的な田舎ぐらしは、別の世界のできごと。

山へ向かう矢印

矢印
童仙房への案内矢印

 住めそうな場所が見つかったということで、いっきに余裕が出てきた。この村を、もう少し見て回ろうと、国道を東へ走り始めた。

 いくらも走らないうちに、信号があり、「童仙房は左折5km」という案内看板があった。左へまがると、すぐに山である。そもそも、「童仙房」なんて、ふつうの地名には思えない。なんじゃらほいな?と、好奇心あって、左へ曲がってみた。

 左折してまもなく、道は、山を登り始めた。先は、高い山である。人家もとだえた。登れども登れども、同じような山道がえんえんと続く。いったい、どこへ向かっているのだろう?ここはどこ?わたしはだれ?

 坂を登り始めるときに最後の人家があってから、長い間、人の気配がない。なんだか、心細くなってきた。ナナハンでコーナーリングするのがしんどいような道。

 5kmほどということだが、実際は、もっと遠く感じられた。

 山を登り詰め、これ以上高いところがないという地点まで来ると、私は不思議な感覚におおわれた。

ここに決めた!

 登り切ったところに、初めての人家がある。そこから先は、のどかな平地。たしか、高い山を登ってきたはずだ。ここは、ほんとうに頂上なのか?

童仙房を見上げる
あんな山の上に集落があるなんて・・・

 目の前の風景は、「山」ではなく、「平地」。山の下も見えないから、低いところののどかな田園風景そのもの。

 しかし、その風景の中に立ち入ったとたん、時間の流れがちがうのに気がついた。時が、ゆるやかに流れている。都会の、分刻み・秒刻みの世界とは、あきらかに違う。商工会のあるあたりは、同じ村といえども、時間の感覚は都会とそう変わりなかった。山へ登る道が、世界を分けている。そしてまた、山の上だからかもしれないが、なにやら底抜けの明るさを感じた。ここにも、ふつうの人々の生活があるのだが、現代の日本の社会とはちがった世界。

 都会から、すぐ近いところに、こんな世界があるとは、信じられなかった。住みかを探し続けてきて、このような世界には、初めて出会った。

 ここに来て間をおかず、ほぼ瞬間的なひらめきで、ここに住みたいと思った。ここ以外には、私が住むところはない。最後の最後に行き着いたところが、まさに願いどおりの場所だった。

見えてきた

 住みたいと思ったものの、知っている人がいるわけではない。ここがどんな土地かさえもしらない。

童仙房へ上る道
童仙房へはこのような道をえんえんと上る

 とりあえず、先へ進んでみた。見かける人に、声をかけてみる。
「あのぉ、ここにすみたいんですけどぉ・・・」
「・・・」

 きわめて不審に思われているのがよくわかる。めげずに、語りかける。そんなことを、繰り返した。

 何度も何度も大阪から童仙房へ通い続け、やがて顔なじみになる人も。ぼちぼちと、童仙房のことを知っていく。ここは、明治以降の開拓地。ふつうの田舎のように、古い歴史があるわけではない。冬の寒さは厳しいようだ。マイナス10度くらいまで下がることもあるらしい。寒さの苦手な私は不安をおぼえるが、それよりも、この土地の魅力の方が上。

 そのうち、当時の区長さんが話を聞いてくれて、地元の建設会社の社長さんを紹介してくださった。

生まれて初めての「どかた」

 その会社で、建設作業員(いわゆる「どかた」)をさせていただくことで、生計をたて、社長さんに土地を貸していただくことでなんらかのかんたんな建物を建てることとなった。

 どかたは初体験である。移植ゴテは持ったことがあっても、スコップは持ったことがあったっけ?土のさわり方も、コンクリートの打ち方も、ダンプの運転も、何も知らない私。ただ、大工とか土木とか、そういう技術を身につけたいという思いはあった。

 年が明けて1991年の6月、大阪から、毎日軽トラックで童仙房まで通い、どかたをした。通勤時間は片道2時間少々。最初の現場は、国道163号線バイパス工事。南山城村の隣、三重県島ヶ原村の木津川にかかる橋の橋台。

 体の節々が痛かった。道具の名前も、使い方も、さっぱりわからない。足手まといになるばかり。

 体を動かす仕事は、しんどいとはいっても、なかなか気持ちのいいものである。

 夏の暑さをこえ、9月にはいると、住居用の土地を社長さんが用意してくださった。いよいよ、住むことが、現実に近づいた。

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