長い長い物語は、童仙房へくる前から始めなければいけない。
大阪で生まれ育ち、その後しばらく京都市でも暮らしていた。
わけあって、勤めていた会社をやめた私は、ほとんどプータロー状態で、大阪にいたが、身を落ち着けることのできる場所をさがして、動き始めた。田舎ぐらしにあこがれていたわけではない。住めるなら、どこでもよかった。
時は、バブル末期の1990年。狂気ともいえる土地高騰に日本中が我を失っていた中、プータローに住みかを貸してやろうという話は難しかった。必然的に、郊外へ向かうこととなる。
まずは、四条畷をあたったが、あんなに建物がたくさんあるのに、あいている部屋はひとつもないと。大阪で花博開催中。時期が悪かった。
都会で生まれ育った私から見れば、木津町は田舎である。(今の私からみれば、木津町は都会だが)
木津まで来れば、いくらでも住めるところがあるはず。四条畷から、さらに東へ、と私は動いた。JR学研都市線で木津へ来てみた。ところが、木津町内にも、あいているアパートはないという。精華町ならあるだろうと聞き、精華町の不動産屋を訪れてみた。かろうじてあいているところはあったのだが、ふと不安に感じたことがあって、思いとどまった。このあたりでは、関西文化学術研究都市の開発が進行中である。住んでまもなく、環境が激変するかも知れない。精華町役場へ聞きに行った。学研都市の計画は、すべてが具体化しているわけではなく、先のことは、わからないということ。
がらりと開発されてしまうかも知れないところには、住みたくないと、思った。(その後、景気減速のため、ほとんど開発は進んでいないようだが)
さらに東へ。加茂町、山城町、和束町・・・
笠置町が、私にとっての東限だろうと思っていた。
相楽郡東部は、木津・精華と比べても、うんと田園風景である。いわゆる田舎。そのころは、田舎ぐらしブームの走りだった。「田舎ぐらしの本」が季刊から、隔月刊へ、さらに月刊へと、なんで田舎がこんなに売れるのか?と不思議な大躍進を遂げていた。一時期、私も「田舎ぐらしの本」を購読していたことがある。漠然とした自然回帰指向はあったが、「田舎ぐらしの本」は、違うと思った。うまくいえないが、「暮らし」が感じられない。もっと言えば、雑誌の中の田舎ぐらしは、演じられたドラマと受け止めていた。
さてさて、自分は、田舎へ向けて、住むところを探している。
はじめは、田舎ぐらしは頭になかったが、途中から変わってきた。もしかしたら、いまプーであることは、チャンスかも知れない。何もないということは、自分の生活をまったく違う世界で新しく作っていけるということでもある。生涯をおいて、こんなチャンスは今だけかも知れない。
がぜん、いままでとはちがった意欲がわいてきた。
私は、ナナハンにまたがって、しばしばこの地を訪れるようになった。
![]() ナナハンで家探し |
田舎へ行けば、いくらでも空き家があるだろう。
多くの人が、そう考えがちだ。私も、そう考えた。
だが、さがせども、さがせども、いっこうにみつからない。田舎には、アパートがない。だから、一軒家の空き家を探すことになる。空き家ができても、数年放置すると、人が住めなくなってしまう。すぐに住める空き家など、よほどのタイミングでないと、出会えない。また、そういう空き家があったとしても、家の持ち主が、盆暮れ正月に帰りたいので、人には貸せないというケースも多い。貸せる場合でも、どこの誰かわからない人には貸すわけにいかないというのがふつう。田舎は、都会以上に住むところが見つからない。
加茂町、和束町、笠置町、どこにも住めるところはない。風来坊を気取っていた私も、少々あせってきた。今の世の中、プータローの居場所など、ない。
笠置を東限と思っていた私は、手詰まりになった。探すところがなくなってしまった。思いを新たに、さらに東、三重県へ向かうか、進路を修正して南の奈良県へ向かうか。笠置山のてっぺんに登って、考えた。相楽郡を見渡しながら、考えた。
ふっと、見落としていたことに、気がついた。笠置の東隣に、村がある。京都府のはずれ、京都府で唯一の村。雪深い北部やクマの住んでいる北山が、みんな町なのに、こんな都会の近くに、村がある。
ダメもとで、行ってみよう。最後のトライ。これでダメなら、うんと遠くに行くか。
まことに、人生とは、一瞬のひらめきで、大きく変わるものである。私は、南山城村へと、向かった。