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村おこし奮闘記

童仙房物語/ひとりでボチボチ

村おこし奮闘記 −1996年9月 助っ人あらわる!−

悩み多き日々

萩

 というわけでぇ(あ、何のことかわからへん? そしたら先にこっち見て)、雑誌や新聞のおかげで夏以降、人は来るようになったのだが、たいがい、お客さんとして来るにとどまる。たまにスタッフとして参加したいとか、学校出たら会社に勤めず村おこしを仕事に考えたいとか、今の会社やめて村おこしに加わりたいとかいう若い子たちがいるにはいるが、いかんせん、住む場所がない。「田舎には空き家がいくつもある」というイメージがあるようだが、童仙房には、ただ1軒の空き家もない。それに、村おこしといったって、いまは誰がやったって、ボランティアにしかならない。どこからも補助など出ていないのだ。

 村の人たちは、私がくりかえし雑誌や新聞に載ったり、こうやってホームページを出したりしてるの見て(ホームページを出してるのは、たぶん村の中で私ひとり)、確実に村おこしへ関心が高まっている。でも、いざ何かしようとなると、「仕事が忙しい」となってしまう。しかたのないことだ。

 では、村おこしは、もうダメなのか?… 都会には、仕事をやめてまで、村おこしに参加したいという人もいる。そして童仙房にはスタッフがたりない。この両方がつながれば、何かできるはず。そのためには、雑魚寝でも何でもいいから、泊まれる場所と、村おこしに関連して何らかの収入を得られることが大切になってくる。

助っ人あらわる!

 9月の10日、『田舎暮らしの本』の私の記事を見たといって電話がかかってきた。あの本が出てからもう2カ月以上になるが、まだ問い合わせがある。電話の主は、昼ごろ、私の家へ来た。Fさんという50代の男性だ。以前は会社へ勤めていたが、昨年、大阪の職業訓練校で、若い子たちにまじって、大工を習い、今年の春には白浜へ行って大工の仕事を始めたが、土地が自分の肌に合わず、奈良へ戻ってきたという。ちょうどそのとき、私の記事を見てくれたのだ。

少年の心を忘れずに

 Fさんは、お金がないと安心できないという人ではない。それより、みんなが楽しく幸せに暮らせることを願い、自分自身が何かしたがっている。職業訓練校で、おそらくは学校についていけず、中卒の学歴しか持たない少年たちが、生き生きと自分の道を切り開いていくのを見て、心をふるわせたと。目を輝かせてそう語るFさんこそ、まぎれもなく「自分の道を切り開いて生きている人」だ。私たちは、時間の過ぎるのを忘れて、あつく語り合った。

 Fさんは、「村おこし」という言葉そのものにひかれているわけではない。しかし、Fさんの願いと、私が村おこしに寄せる思いは、話せば話すほど、近い。Fさんは、会ったその日に、童仙房で何かをやってみようという気になった。上で書いたような、村おこしの行き詰まりを理解してくれ、若い子たち(若くなくても)がここへ来て、生き生きと活動できるような環境を整えていこうと、話がまとまった。

 Fさんがすぐに提案してくれたのは、童仙房の農産物を車に積んで、都会へ売りに行くこと。その収益が出れば、それを生活費にして、都会から来る人が長く滞在できる。私は、日頃、都会の知り合いから、お茶やお米をほしいと頼まれることがよくある。私自身は農業をしていないが、農家の中で個人販売をしている人から買ってもっていく。童仙房のお茶もお米もおいしいと評判だ。だから、この話はいけるかもしれない。9月19日にさっそく京都へ売りに行ってみようと、計画を立てた。

道を切り開くということ

山にヘビがいるのはあたりまえ

 雑誌や新聞を見て問い合わせをくれた人は、50人を越える。田舎で暮らしたいという人も多い。しかし、多くの人は、気持ちが甘いといわざるを得ない。牧歌的な思いで、気楽に暮らしていけると考えているようだ。田舎暮らしは、そんなものではない。自然が残っているということは、不便なのだ。また、気候も厳しいのはあたりまえだ。車に乗らないと生活していけない。蛇が怖くてどうする! 病気をしたって、救急車がくるのに半時間ほどかかり、童仙房から病院までは1時間かかる。そんな中で人々は生きている。自分たちが手入れし、築き上げてきた土地だ。それを、タダに近い値段で売ってくれという人も多いが、無理な話だ。

 私は、お金もなく、住む家もなく、仕事もない、という最低の状況で、身を落ち着ける場所をさがしまわり、最後にやってきたのがこの童仙房。このおおらかさと、あかるさと、無骨な自然を、一目で気に入った。私にはここしかない。何度もかよって、地元の人に相手にされようとされまいと勝手に話しかけ、そうするうちに区長さんを紹介してもらい、建設会社を営んでいる方を紹介してもらい、まず、どかたをさせていただいた。

 スコップさえ持ったことのない者が、いきなりどかただ。正直言って、まいった。でも、まいったらあかん。「私にはここしかない」という思いで、踏みこたえた。はじめは大阪の親元から童仙房まで毎日軽トラックで通った。半年後、童仙房に土地を借りて、仮設住宅みたいなのをたてて、移り住んだ。ここの人たちは、私を、あたたかく迎えてくれた。でも、生活習慣の違いゆえ、とまどったり、挫折しかけたこともある。いま、ここへ来て、4年半。

 生活の安定を考えたら、自分の道は開けない。ひたむきに進むことで、道は開けるものだし、世間もそうは見捨てない。

 Fさんがほかの人たちと違っているのは、「生活の安定を後回しにできる」ことだ。まず、行動しよう。失敗してもくじけない。言うより動くこと。前進あるのみ。

初めての直売

茶畑

 9月19日へ向けて、私は準備した。商品を集めなければならない。無農薬でお茶とお米を作っている農家へ行って、趣旨を話すと、快く協力してくれた。売れ残ったらそのまま引き取ってくれると言う話。これが肝心なのだ。直売だから小売りよりは安いが、無農薬だから、そこそこの値段はする。むやみに、下げるべきでない。というのは、農業に市場原理を持ち込んだら、農薬や化学肥料を使わざるを得ないし、後継者も育たない。適正な価格を守り、質を落とさないことだ。

 そろった商品は、無農薬の米とお茶、竹炭、韓国の人が作ったキムチ、籐の工芸品。京都市の、知り合いを頼って、団地の中へ入っていった。あらかじめ、その人が近所に声をかけてくれていた。すぐに人が集まった。キムチが好評。米は、すでに決まったところから買っている人が多く、そうは売れない。農家が試食用にと、100袋作ってくれたのを、どんどん配る。さっそく家に帰ってご飯を炊いたおばあさん、「こんなおいしいお米は食べたことない」と、すぐに米を買いに来た。竹炭も5つ出た。

 我々の日当にはほど遠い売り上げだが、初対面の人たちとコミュニケーションができ、童仙房というところを知ってもらえたのは、なによりの収穫だ。

 そのときにお会いした2家族が、22、23日の連休に、童仙房へ来た。ほんとにうれしい。

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