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むらまち交流協会

童仙房物語

むらまちとともに −その8−
 村おこしって何?−区民への説明

このページにある内容は、1997年当時のものです。
掲載内容をもとに関係機関へのお問い合せ等はなさらないでください。


 今回のフリーマーケットは、童仙房の人たちにとって、ある意味では、これまでに経験したことのないモノです。みんなで申し合わせて一律に売るのではなく、自分がつくったものを、自分で値段を付けて、自分で売る。

 私は、山村の活性化には、こういう雰囲気をつくっていくことが不可欠と考えます。与えられるのではなくて、自分たちで創るということ。それを、いかにみんなの理解と合意をとりながら進めるか。もっとも、カンタンに分かるには、実際に形を作って見ていただくことなのですが・・・

 フリマの準備を進めながら、こういう発想にみんながなじめないようだと感じ、9月22日に、全家庭に説明の文書を配布しました。区内の情報や個人情報に関する部分は省き、イベントの理念のみ、ここに掲載します。

村おこしをするなら、今

 「村おこし」という言葉は、この地域でも、耳にします。他の地域でも、しきりに村おこしが行われていますが、成功例は数少ないようです。まず、村おこしが必要かどうか、から話し合いをするものだろうと思います。その前に、「村おこし」って何なのか?ということも、人によって思うことがまちまちなようです。

 そういう疑問に対して私が答えを示せるはずもありませんが、これからみんなで考えていくための材料として、いままでこの地域になかった形のイベントを一度限りの試みとして提案しました。私の個人的な考え方を下に書きますが、あくまでも個人的な考えとしてご覧下さい。

1.都会の人の求めるモノが分からない。

 こんな山奥に、遊園地を作ってもダメです。人間が作ったモノなら、都会にいくらでもあります。わざわざ田舎へ来てもらうのに、都会にあるモノと同じモノをアピールしたって、意味がありません。

 山に住んでる人は、山にないモノを良いように思うので、都会にあるモノに価値を見ます。しかし、都会に住んでる人は、逆に都会にないモノにあこがれます。「都会にないモノ」とは、「山にふつうにあるモノ」です。

 新しくモノを作ろうと考えるのでなく、いま、身の回りにあるモノこそ、都会の人が求めているのだと、考える方がよいのでは?そして、山にある自然に、手をつけて加工すればするほど、都会の人の求めるモノから遠ざかるように思います。

 そう考えれば、村おこしとは、莫大な事業でなく、日常の延長であって、村おこしを進めれば進めるほど自然を大切にしなければいけないことになってくるはずです。

 とはいっても、私たちも生活しなければならず、また、都会の人に来てもらうにしても、最低限の整備は必要です。自然を大切にすることと、生活することのかねあいを考えていくことが村おこしの一面であるのかもしれません。

 そのことを考えていくとき、村に住んでる人の視点だけでは、ムリがあります。従来の村おこしは、村側の視点だけで進めた結果、都会の人にそっぽを向かれてしまったケースが多々あったのではないかと思います。

 村の人と、都会の人とが、話し合いの場を持って、意見を交換し、都会の人が気持ちよく訪れることで村の生活が(経済的にも精神的にも)豊かになっていくような形が、ムリなく、理想ではないかと考えます。

 私は、他の地域の様々な情報を手に入れ、いろんな考え方を持つ人たちのネットワーク(人のつながり)をつくるため、インターネットの活用を提案します。

2.宣伝方法が乏しい。

 難しいことではありません。

 都会の人の求めるモノをこの地に築けば、ほっておいてもマスコミが取り上げます。私のハーブ栽培。「こんなもの、どこがいいのか?」「こんなちっぽけな面積でどうする?」と言われます。なぜ、こんなものが新聞で繰り返し取り上げられるのでしょう?都会の人が求めるモノを、都会の人が求める形でやっていることの、ひとつの例ではないかと思います。現在、私は、ハーブで収益を得ていません。しかし、2年間、「遊んで」いるうちに、さまざまなことが見えてきました。あわてて商売に結びつけたいとは思いませんが、いろいろな可能性を考える材料にはなると思います。また、ハーブ栽培に人が来ることで、その人たちは、お茶や米をほしがります。提供できる農家があれば、売れるでしょう。さらに、その人たちが、知人に「童仙房はいいところだよ」と言うので、口コミでどんどん広がっていきます。

 「無償提供されたテントをみんなでたてた」という話題は、都会の人が喜びます。マスコミが取り上げるのも、当然と言えば、当然です。

3.村の人の足並みがそろわない。

 人間の考えることは、まちまちです。積極的に村おこしをやりたい人もいれば、あまり気の乗らない人もいるでしょう。村おこしをとおして大きなメリットを受ける人もいれば、あまり受けない人もいるでしょう。たとえば、区で一律に役割分担をしてとりくもうとすれば、不協和音が出るのは当然です。

 そして、「いやだけど、しなければいけないからやる」というのは、効果の上がらない形です。都会から来たお客さんも、それでは楽しめるはずがありません。「やりたい人がやる」を基本にした方がいいでしょう。やりたい人がいなければ?・・・村おこしそのものを考え直した方がいいかも。

4.資金が少ない。

 これまでの説明で、莫大な資金を使うのが村おこしでないと、言いました。それでも、必要な資金があります。村おこしでメリットを受ける人が、受けるメリットに応じて、負担するのが自然でしょう。

 そして、もう一点。メリットの大小はあっても、地域の人が広くメリットを受け、地域作りに役立つなら、公的な補助(府とか村とか)があり得ます。

5.ゴミなど、人が来ることによる弊害。

 最も難しい問題でしょう。

 人が来れば、必ずゴミが出ます。処理しやすい形でまとめてくれればいいのですが、ほうぼうに散らかされたら、たまったものではありません。だから、人が来ないようにしようというのも、ひとつの道でしょう。地域の人が、それを選ぶなら、私は何も言いません。

 私は、人が来て、ゴミを減らしていく可能性を考えています。無差別に人を呼んだら、収拾がつかなくなります。ゴミを片づけ、自然を大事にするような人たちを先に呼んでおいて、ゴミを捨てにくい雰囲気をつくることです。(それでも捨てる人は捨てるでしょうが)

 あと、山のゴミを拾って歩くような、「環境ボランティア」を都会から募集することができないかと考えています。「この地域はゴミを捨てさせないぞ」とアピールできればよいのでは?

 上記のことは、すべて提案にすぎません。言い出しっぺの私が責任を負えるものでもないし、確信を持って言えるほどのものでもありません。

そこでフリーマーケットを!

 村おこしをするかしないか、または、どうやってするか。それは、地域の人たちで考えればいいことで、私が個人的な意見を越えてモノを言うべきではありません。ただ、村の人たちが気がつきにくい部分を、見て欲しいという気持ちはあります。それを知っていただいた上で、あらためて、考えていただければと思います。

 上記の1、3、4をクリアするために、フリーマーケットを提案しました。産品祭りのように、みんなで申し合わせて出品するのでなく、自分が作っている作物を、自分でアピールして下さい。値段も、自分で自由に付けて下さい。誰にも迷惑はかかりません。失敗すれば、持っていったモノが売れないだけのことです。自分が苦労して作った作物を、都会の人がどういうふうにほしがるのか、自分で確かめて下さい。できるだけ、いろんな試みをした方がいいと思います。そして、米や茶を年間通して欲しいという人が現れたら、自分で売ってあげて下さい。また、都会の人も出店します。どんなモノをどんなふうに売るのか、見ておいて下さい。

 フリーマーケットを開催するのに必要なモノは、場所とトイレと水だけです。これだけでも、大変な準備がいるのですが、他のイベントと比べたら、最小の準備ですみます。

 今回に限り、区は私にやってみろという話になり、私の主催ということでスタートしました。その趣旨に賛同を得て、京都府が進めている「ビタミンαミュージアム」が後援についてくれています。私が主催するのは、今回一度限りです。だいいち、毎回こんな事をしていては、生活もできないし、体も持ちません。今後続けるなら、何らかの団体か会が主催をして下さい。そのお手伝いなら、させていただきます。

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