このページにある内容は、1997年当時のものです。
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年が明けて、切山で計画中のイベントは、不協和音がなり始めた。そもそもイベントというものは、ふさわしい時期にふさわしい内容のことをしなければ成功しない。では、誰が「ふさわしい」ことを判断するのか? 地元全員の合意で迅速に進められたら最高だが、現実にはそれはありえない。様々な意見があり、様々な利害が絡み合うのが、地域である。
みんなで相談して決めていてはイベントを実現できないというのは、事実である。そこで、実行委員長が強い権限をもって進行させるのがよいようだが、メンバー(地元住民)がついてこなければ、イベントは成り立たない。行政主導でおこなうイベントは、委員長の権限は強大なものがあるが、住民はおうおうにしてしらけていたり、反発を抱えていたりする。行政サイドもそのことを承知してきているので、一方的に行政がぐいぐい引っ張る形のイベントはどの地域でも、影を潜めつつある。
実行委員長のリーダーシップと、住民の賛同。相反すると思われるこの命題は、どこのイベントでも成功へのターニングポイントとなる。
切山のイベントは、当初、実行委員長は区長であった。まことに筋の通った話であるが、やりにくい形でもある。区長は、イベントをするための役職ではない。区長が統率する区民は、イベントのための集団でもない。しかし、区長がイベントの実行委員長を兼ねると、おのずから区民全てが実行委員のメンバーということになる。童仙房の場合、私個人が実行委員長であった。区長と実行委員長を切り離すことで、「区」と「イベント」を分離させることができた。そのために、区がイベントを支援するという形をとりやすかった。
なぜ、切山がそのような形を取らなかったか? 前ページで書いたように、切山にはイベントをしなければいけない必然性があったからだと思われる。すなわち、区の事業と位置づける必要があったのだ。
区長の立場と、Yさんのすばらしい企画と、ダイナミックな動きにとまどう住民の方々。
むらまちは、童仙房のイベント以上にYさんを支援している。ただし、むらまちは、イベントの主役にはなれない。主役はあくまでも地元である。むらまちには、なんとかしようと立ち上がる地域住民を応援したいと純粋に願う面々が集まっている。Yさんも、パソコンを購入してインターネットを始め、むらまちに参加した。むらまちのメンバーたちは、Yさんの企画を実現させようと、もりあがった。
Yさんは、ゆれうごく地元の中にあって、徐々に多くの方々の共感をとりつけ、実現へ向かって進んでいた。
むらまちは、Yさん宅でオフ会を開き、菜の花コンサートの会場を見学した。生駒の山々を背景に、はるかに広がる菜の花畑。なんとロマンチックな光景だろう。クロマチックハーモニカの演奏が聞こえてきそうに思えた。
そして、むらまちのメンバーであるデザイナーが、イベント用にイラストマップを作成した。
具体的に計画が進みつつあった4月上旬、とつぜん、イベントの中止が決まった。地元の集会で、僅差で中止が可決されたという。外部の人間である私には、理由ははかりかねるが、地域活性の難しさをあらためて思い知った。どこの地域、どんな社会にもあることだが、新しい動きには、必ず反発がでてくる。
私が童仙房でイベントを成功させることができたのは、種々の好条件がうまく重なったに過ぎないのであって、紙一重で、切山と同じ道をたどったかも知れない。逆に、切山も、わずかのところで、イベントの成功にこぎ着けたかも知れない。
イベントの開催案内と中止決定が、新聞にでたので、知っている人も多いだろう。Yさんは精一杯がんばったし、地元も開催に向けて尽力されていた。役場も、協力を惜しんでいなかった。イベントは実現できなかったが、敗者はいない。切山は、今日も切山である。いろんなことをふくんで、地域は存在する。