朝起きてふと見ると、本堂の脇になにやらある。
彼の荷物であった。
こんな分かりやすいところにあって、何で探せないの?
彼にとっては、生活必需品。おそらく毛布なども入っているんだろう。
ゆうべはどうしたんだろう、この寒空の元。
また、駐在へ行った。
「荷物、ありましたよ」
「あ、そうですか。で、どこに?」
「本堂の脇の、非常に分かりやすいところ」
「まったく!!ゆうべあれからまた来て、駐在に隠してないかって言うから、とうとう怒っちゃいましたよ」
「ろくに栄養摂ってないでしょうから、目も悪いんでしょう」
「ああ、なるほど」と駐在さんも多少同情気味。
「ゆうべどうしたんでしょうね」
「九時頃、一回りしたんですけど、どこにもいませんでしたよ」
「じゃあ、もお行っちゃったんでしょうかねぇ」
「さぁねぇ」
彼は九州を目指していると、駐在さんに言ったそうである。
九州かぁ、歩くと遠いなぁ。
どうせまた、生活に困るとこそ泥をするんだろうなぁ。
「そう、そうなんですよ、ああいう輩は」
かつて、彼らのために市町村役場で旅費を工面する制度があった。
それは私も聞いて知っていた。
しかし、最近は数が多くなり、負担が大きくなって、どこの役場でももうしなくなってます、と駐在さん。
「今の日本の社会には、彼らがいれる場所がないですね」
「ええ、そうですね。刑務所だけなんですよ。」
「お寺に私一人なら、彼を泊めてあげることもできますが、家族がいますから・・・。」
日本の社会は、お寺も変わってしまったんだなぁ。
「荷物、しばらく預かっておきますので、彼来たらお寺によこして下さい」
人間に生まれれば、それは幸せなことだと言われる。
しかし、彼らを見るとその自信が揺らぐ。
うちのぽんたとどっちが幸せなんだろうって。
更に、たとえ犬に生まれても、盲導犬や聴導犬として、人に尽くして一生を送る犬の魂と彼らの魂、一体どちらが仏に近いんだろうか、とも思う。
しかし、現実に彼らは苦しい。
自分で歩けと口で言うのは、簡単なこと。
学もなく、資格もなく、具体的な手段なんて分かろうはずもなく、彼らに対して、今の社会で一人で生きろなんて、幼稚園や保育園の子供に一人で生きろって言っているような物。
溺れている人間に、能書きをたれてもしょうがない。
つくづく、マザーテレサはすごい菩薩だなと思う。
私には、目標には出来ても真似は出来ない。
自分のいたらなさをおもいしるのみ。
彼の名前と生年月日を駐在さんに教えてもらったので、せいぜい彼のために、祈ってあげよう。
今の私に出来ることは、それだけだ。
二日後の今日(12/20)、車で出かけたとき、近所をふらふらと力無く歩く、彼を見つけた。
車を降りて声をかけた。
「あのぉ、荷物が見つからないんです・・・」
「あったよ、荷物。本堂の脇のすぐ分かるところだったよ。しっかり探さないからだよ。しまってあるから、すぐお寺に行きなさい。女房いるから。」
と、彼の背中を叩くと、「はい!」と実に嬉しそうに、歩いていった。
用事を済ませ、寺に帰ると、荷物は無事彼の元に戻っていた。
二晩、寒く心細かったであろう。
今頃どこを歩いている事やら。