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自然なこころって、なんや?

あるお坊さんの話

 ほめぱげを開設してから(「ほめぱげ」ってわからない? 「homepage」でおますがな)、たくさんのメールを頂戴して、ときどきメールの交換をする相手もふえてきた。そのひとりに、日蓮宗本要寺(島根県)のご住職の北川尚仁さんがいる。

 とても明るいお坊さんで、よくオチャラケするが、ほんとはとても慈悲深いお坊さんです。先日、檀家さんたちに配った随筆ですが、といって、北川さんご自身が書かれた文章を送ってくださった。とくに宗教を思わせる内容ではなく、布教を目的としたものでもなく、ただたんに、自分が感じたことをそのまま記してあるだけだ。しかし、そこに、私の思いと通じるものを感じたので、北川さんのご了承を得て、ここに掲載します。

 私たちが、環境問題や平和を考えるとき、あっちを立てればこっちがうまくいかず、こっちを立てればあっちがうまくいかず、というジレンマに陥ることがよくある。科学の発達は人類の誇りだが、そのいっぽう、科学の発達に伴って、自然が破壊され、大量殺戮の兵器がつくられていく。なぜ、こんなことになるんでしょう?

 「何かに勝ってやろう」「あいつより偉くなってやろう」という心。競争心は向上心を生む。それはそうなんだけど、なんだか腑に落ちない。勝つ相手、競争する相手は、他人でなく自分では? 最近、そう思うようになりました。

 山に住んでる私は、自然を何とかしてやろうとは思わない。かといって、自然のなかに私が飲み込まれ、埋没してしまうのもイヤだ。私は私だ。そして、山は山だ。仲良くしようじゃないか。人間とも自然とも、仲良くできるようにつとめたい。もちろん、私に牙をむく人間や自然とも。誰とでも仲良くするのに必要なのは、自分への挑戦...かな?

 山で生きているのが、心地いい。自然は、人間よりも手ごわいし、きびしい。そんな自然と仲良くしようと、(自分自身に)挑戦するのが、とても心地いいです。

 ここまでは、モモのひとりごと。北川さんのエッセイは、次のページへどうぞ。

病原菌との仁義なき闘い


 そして、また別の日、日蓮宗本要寺(島根県)のご住職の北川さんは、お寺であった出来事を、私に書いて送ってくださいました。

 こんどはくだけた会話調です。檀家さんに配るために書いたものでなく、ただ私に書きつづってくださったそうです。でも、その内容に、やっぱり私はハッとしました。

 ひとよりみじめな境遇にあるとき、つらい境遇にあるとき、私たちは、投げやりになったり、自己弁護したりしますよね。だって、つらいんだもん、しょうがないじゃない。自分だって、好きこのんでこんな境遇にいるわけじゃないし。ほんとはもっと幸せになれるはずなのに。あーあ、自分はかわいそうだなぁ。

 これじゃ、よけいにみじめじゃないの。このつらい境遇から抜け出すには、自分の足で、自分の力で立ち上がらないと。他の人が代わりに立ち上がってあげられるわけでもない。

 目の前でつらい思いしてる人に、「甘えてるんじゃないよ! 自分で何とかしなさい」とは言えないよね。でも、「あー、かわいそーに」と言ったんじゃ、その人、きっと心の中で「ふざけんなよ」と思ってる。言葉よりも、「私も一生懸命生きるから、さぁ、あなたも生きていこう」って、手をとりあえるような生き方をしたい。

 「一生懸命生きる」ってことは、「自分の問題を自分のことのように考える」ってことかな。たとえば、環境のこと。身近なようで、ピンとこない。自分一人が何かしたってどうせダメだ、となりやすい。でも、自分が生きてる環境は自分で守らないと、だれが守る? 平和もそう。人権もそう。地域活性もそう。福祉もそう。ぜんぶ、自分のことじゃないの。政治が悪いの、資本主義が悪いの、あいつが悪いの、こいつが悪いのって言ってたって、どうなるんだよ!

 と、ブツブツ言ってるぼくちゃん。北川さんのエッセイはもっとさわやかですよ。今回はわざとくだけて書いてくださっているから、微妙な表現にこだわらず、気持ちをくみ取るように読んでほしいです。では、どーぞ。

明日を見て歩け!




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