結婚を決めるときには、なにかしら事件やドラマがつきものなのかもしれない。
が、ネット婚は、あんがいドラマが少なく、トントンと進むことが多いようだ。
いや、ネット婚そのものがドラマだといえるのかもしれない。
私たちは、「異性との出会い」を求めてインターネットを始めたのではなかった。いま流行の出会い系サイトとは無縁。いまだに興味がないし、のぞいたこともない。それがよかったと思う。
メールを通した出会いは、下心があるかないかで、うんと変わってくるようだ。下心があれば、自分をごまかそうとするだろう。そしてまた、できるだろう。相手にも期待するので、かんたんに嘘を信じてしまうだろう。そもそも気分がアバンチュールだろうから、周りが見えにくくなってしまう。ま、こういった話は、ネットであろうがなかろうが同じだと思うが、ネットなら、より嘘をつきやすく、だまされやすい。
下心がなければ、自分をごまかす必要がないし(そもそも、ごまかすのがめんどくさい)、相手に逃げられてもかまわない。相手に何を期待するわけでもないので、もし相手がごまかそうとしていたら、うさんくさく見えてしまう。
初めから、ナナは正直な人だった。ナナのことを知るにつれ、うさんくささのかけらもない、どこまで信じてもだいじょうぶと、見えた。メールだと、相手の表情が見えないので会話しづらいとも聞くが、逆に、見えないからこそ、会話そのものを楽しめるとも言える。
ますます、お互いにメールで本音を出し合った。それは、太陽が東から昇り西へ沈むがごとく、自然なことだった。
私が都会から田舎へ移住して、山の上で暮らしていることも、ナナは、賞賛もせず、批判もせず、何でもないことのように受け止めていた。「ふーん」という感じ。ナナのような反応は、かなりめずらしいことだ。田舎暮らしにあこがれる人、私を賞賛する人とは、パートナーになりにくい。ナナならいっしょに暮らしていけるかも。
男と女が夫婦になるって、何を決め手にするんだろう?
この人とならうまくやっていけるって、何を基に確信するんだろう?
ま、確信できて、それが確かなら、離婚する人なんていないか。
ナナが帰ってから、そんなことを考え始めていた。自分では若いと思っているが、もう若いとはいいにくい年の私は、ナナを結婚相手と考えられるかどうか、それをいちばんに思った。じっさいに結婚してうまくやっていけるかどうか、それは、結婚してみないことには、ぜったいにわからない。自分にとって大事な条件を満たすかどうかだけ考えて、それでやってみようと思ったら、あとは何があっても自分の決意を信じるのみ。他人のいうことに左右されたら、後々自分を信じ切れなくなる。自分の決意を信じ、どこまでも信じ続けること。結婚て、そんなものじゃないのかな。
私は、自分のパートナーに、外見的なこと、表面的なこと、物質的なことは、べつに求めていない。私自身、いつも前向きに生きていきたいと思うし、モノより心を大切にしたいと思うし、競争より和することを大切にしたいと思うし、他人を蹴落として自分が勝つのはイヤだし、別に他人に勝たなくてもいいと思うし、小さな命でも尊いと思いたいし、きっと人は皆優しい心を持っていると信じたいし、強い人に媚びるよりは弱い立場の人の見方になりたいと思うし、経済よりも環境が大切だと思うし、戦争はしちゃあいけないと思う。
だから、自分のパートナーも、そういう価値観を持っている人であってほしい。
ナナは、まさにそういう価値観をもっている。考えれば考えるほど、私にぴったりではないか。表面的には、ずいぶんちがう環境で生きてきたし、趣味も嗜好もちがう。でも、そんなことはささいなこと。深いところでシェアできれば、あとはどうにでもなる。
ナナが帰ってから、毎日のように、メールをやりとりしていた。とは言っても、ラブレター的ではない。(^^ゞ
短い、たわいもない、おしゃべり。
でも、それをとおして、すっかり結婚する気になっていっていた。