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ボランティア体験記/阪神大震災

被災地で過ごした日々 1

とにかく被災地へ行ってみた

 1月17日の阪神大震災、あの日、私は大阪の両親の家にいたんですが、家は無事だったものの、家具がひっくりかえって、生き埋め状態でした。テレビを見て、いてもたってもいられなくなり、9日目に、粉ミルクとおむつとかぜ薬を入れたリュックをかついで、ひとりで被災地へでかけました。その日は、目的地はなく、ほしい人がいれば誰にでも渡すつもりでした。様子を見てまわり、灘区でもってきたものを渡して帰っただけですが、報道とあまりにちがう実情に、言葉もありませんでした。

 1月30日から3日間、芦屋市ボランティア委員会で活動させていただきました。仮設シャワーで風呂たきなどをしました。仮設シャワーは、ガレージにブルーシートをはりめぐらしてシャワールームを作り、外で倒壊家屋の木材をまきにして大なべで湯をわかして、家庭用ポンプで送りこみます。ホースの先には、じょーろの口をつけてあり、うまく考えたものです。私たちは、まっ黒になりながら湯をわかし、震災以来入浴していない人たちが次々と訪れ、たいへん喜んでいただきました。仕事そのものもおもしろかったし、何よりも喜んでもらえることは、私たちにとってもうれしいものでした。

 地震のショックで、地震があったことを忘れたおばあさんの話を聞いたり、「地震の翌日、大きなリュックをせおった見ず知らずの若い人におにぎりをもらったお礼をボランティアのあなたに言わせてくれ」と、私に泣きついたおじいさん。まるで神様のようにボランティアを見る被災者たち。何もできない私と、何かしなければ、何とかしようとせきたてる気持ち。

はじめは芦屋で

 2月6日から9日まで、芦屋市へ泊まりこんで活動しました。2月前半は、給水活動がメインでした。給水車の補助をしたり、お年寄りの家に水を運んだり。ボランティアの数も爆発的にふえ、市役所のとなりにある宿泊所のプレハブも、ぎゅうぎゅうづめです。ダンボールの上に、寝袋や毛布を使って寝ます。食事は、被災者に配った残り物をボランティアがいただくので、ラーメンやパンが多く、おにぎりや弁当は賞味期限がきれていたり、かたくなっているものがほとんどで、おなかをこわした人も大勢います。それでも、この食事はボランティアが食べてもいいのかと、自問しつづける日々でした。もちろん、そんな生活に文句を言うボランティアはいません。

 ボランティアに来ていたのは、高校生や大学生が大半で、みんな、とってもまじめなんです。学校を休んで、あるいは試験を捨てて、あるいは仕事を退職して、そしてかけつけ、夜おそくまで、動き続けます。私はそんな彼らをからかって「おまえら、お金もらうアルバイトやったら、そんなに働らかへんやろ」と言ったら、「そらそうや、でもこんなとこ来て、じっとしてられへん」という答えがかえってきました。みんなそれぞれ、いきいきしていました。

 高校生や大学生が圧倒的に多く、関東や東北からひとりで来ている女子高生や女子大生もいました。私は10人ほどの若い子たちと話し込むうち、その子たちに共通した思いを感じました。物質優先か、人の心優先かで葛藤する姿です。そして、物質優先の世の中をあらため、人の心優先の世の中を築きたいと、霧の中を手さぐりで進む姿です。もっとも、そこが被災地だったからこそ、そういう姿を見せたのかも知れませんが。

ボランティアががんばると・・・

 ある大学生の男の子は、とても献身的な性分で、水をくみに来た主婦のかわりに、団地の階段を水をもってかけあがりました。すぐあとで、別の主婦が来て、言いました。「さっきの女の人は、私の友だちなんです。あのぐらいの水は、しんどくても自分で運べるはずです。なのに、ボランティアの方が汗だくで運んでくださってるのをみると、私なさけなくって。私たちは、被災者だからといって、いつまでも甘えていては、いつまでも頼ることばかり考えていてはいけないんです」。その男の子は、何も悪くありません。ただ、ボランティアの善意と、被災者の求めるものが一致しない場面が、ときどき見られるようになっていきました。

 東北からひとりで来た高校生の女の子がいました。私が会った大勢のボランティアの中で、ほんまにこういう子がいたんか!と驚いたうちのひとりです。彼女は、いちばん安い方法をさがし、バスで16時間もゆられて被災地へやってきたのです。素朴でおとなしそうに見える彼女を、何が動かしたのでしょう? 活動中も、何があってもハラをたてず、いつも明るくニコニコしていて、もう休めよと言いたくなるほどよくがんばります。彼女が私にこう言いました。「私は、いつも、いろんな人から助けてもらって、それは本当にありがたいんですけど、けれども、自分ひとりの力でどこまでできるかためしたい、という気持ちもあるんです。だれにも助けてもらえないということも、私には必要なんです」。この言葉、もしかしたら被災者の方々も抱いている気持ちかもしれないと思ったら、ずっしりと重く感じられました。

 しかし、芦屋では、ボランティアの数が激増するにつれ、組織化が進み、目の前の被災者の声に答えるにもいちいちお上にお伺いを立てないといけなくなってきました。また、日が暮れてプレハブに戻っても、大東公園チームの会議があって、給水3班の会議があって、給水班全体の会議があってと、会議だらけで、???という気分でした。組織化が進むにつれ、個人の情熱は組織の歯車に組み込まれていくようで、私は芦屋を去りました。

モモ 記

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