◆NAVI→   相楽ねっと   新着   サイトマップ   総合リンク集   ナチュプリ本舗
◆今はここ→   ほな自然にいこか〜 >  ボランティア >  阪神大震災


ボランティア体験記/阪神大震災

被災地で過ごした日々 3

次は御蔵小学校へ

 4月には、長田区の別の避難所へ行きました。御蔵小学校は、すぐとなりの菅原商店街で大火災があり、テレビの出演回数もダントツに多かった小学校です。被害が大きかったからか、2月3月はまるで戦場のようだったそうです。4月にはじめて行った私も、ほんとうにびっくりしました。あらっぽさもやさしさも極端でした。

心がケアされるのは被災者ばかりじゃない

 そこでの仕事は、被災者とお話しすることです。御蔵小学校でも、毎日お茶の炊き出しをしながら、訪れる被災者と、おしゃべりをしていました。マスコミでは、心のケアなんて言葉がずいぶん言われていましたが、私たちは、そんなたいそうなこと、考えていませんでした。毎日のことですから、被災者ともすぐ顔なじみになり、気軽に話をしてくれるようになっていきます。だれが、いつ、どこで話をしても、話題はきまって、「仮設住宅に当たらんなあ」から始まって、1月17日のことになってしまうのです。あれから3カ月もたっているのに、被災者の時計は、あの日のあの時間で止まってしまっているようです。話がそういう展開になると、涙のとまらない被災者も多いです。

 むしろ、震災直後は生きるのに必死で苦しいも悲しいもわからなかったのが、生活状態がおちついてくるにつれて、すぎさったはずの苦しみ悲しみが、再びおそいかかってくるようです。たとえば、ふたりの子どもが家の下敷きになり、助けだそうとするうち火につつまれて、断末魔の声をあげながら焼け死んでいくのを目の当たりに見ていた母親。

 目の前で苦しみ悲しむ人がいても、ボランティアの私は、手をさしのべることすらできない。じっと見ているしかない。自分の無力さ、なさけなさに、自分を責めずにいられません。被災者の話を聞いて泣いてしまうボランティアがいますが、それは同情しているのじゃなくて、何もできない自分がくやしいのです。被災者も悲しいけど、ボランティアも悲しいのです。でも、こんな気持ちでいると、被災者は、安心するようで、話すだけ話して、泣くだけ泣いたら、さわやかな顔で、ありがとうと言って去っていきます。そしてボランティアは、いっそう無力感をつのらせ、重い心をひきずります。

 また、ボランティアが被災者にどなられることも、たびたびでした。お手伝いに来ている者が、なんでどなられなあかんのか? でもね、4月になっても5月になっても避難所は非日常的な世界だったのに、私たちには、まがりなりにも帰るところがあるのよ。それだけで、罪悪感すらおそってくる。私たちは、お礼を言ってもらいたくてボランティアに行くんじゃないんです。「何を求めて」というのは言いにくいけど、かんたんに「ありがとう」と言われてもピンとこない。こわい思いして、つらい思いして、悲しい思いして、くやしい思いして、ハラたてて、すどーんと落ち込んで、そうしたらやっと、「ああ、自分は被災地にいるんだあ」と、しみじみ幸せを感じるんです。

 そんな時は、被災者にも気持ちが通じているようで、被災者の心がケアされたかもしれないけど、私の心もケアされるように感じました。

ボランティアの憂鬱

 御蔵小学校に、1カ月通っていたボランティアの女の子がいました。避難所の近くの自宅に住んでいる目の見えないおじいさんに、毎日食事をとどけていました。ある日、「だれもメシもってきてくれとはたのんでへん。いらんことせんといてくれ」と言われ、また、避難所の中でもいろいろあって、とうとう、人に会えなくなってしまいました。毎日、くらく沈んだ顔をしていて、ボランティアの控え室にとじこもったままです。その気持ち、よくわかります。真剣にボランティアにとりくんでいる人なら、おおかれすくなかれ、似たような気持ちになったことがあるでしょう。そんなときは、声をかけることもできません。ただ、日にちが薬。

 8月になって、その女の子が、4カ月ぶりに手紙をくれました。家に帰ってからも落ち込みっぱなしで、誰にも会いたくなかったけど、最近すこし開き直れて、やっぱり誰かの何かの役に立てるようになりたいという気持ちがわいてきたそうです。

いちばん難しいこと

 御蔵小学校では、朝夕の食事の配給が大仕事です。役所の職員やボランティアがそれをしていましたが、ある日、御蔵小学校の5年生の女の子が2人、いっしょに配ってくれました。私はその子たちを前に出して、「人が来たら、こんにちはて言って、ニコニコするねんで」と言ったら、その子たちは、そのとおりにして、食事をとりに来た人たちも、とってもうれしそうで、女の子たちにいろいろと声をかけていきました。それがまた、女の子たちにはうれしかったようです。

 これなんですよね、この雰囲気。これがいちばん大切なんだけど、あの子たちの笑顔は、ボランティアにはできないし、似たような雰囲気はつくれるけど、あんなに美しいものはつくれない。何がちがうんだろう。私はもう何もせず、後ろで見ていました。

 結局、ボランティアは、悲惨な状況の中で、ニコニコしてじっとすわっていることが、いちばん大切なことじゃないかな。そうすれば、そこからいろんなものが生まれてくる。絶望の中に、未来が見えてくる。水を運んだり、くずれかけた家から荷物を出したり、救援物資の仕分けをしたり、引っ越しの手伝いをしたり、炊き出しをしたり、掃除をしたり、子どもたちとあそんだり、さんざん動いた末に行きついたのが、このことでした。でもそれはちょっとできないですよ。とっても難しいことだけど、そんなボランティアになりたい。いちばん大切なことは、いちばん難しいことなんですね。

モモ 記

次へ




相楽ねっと    阪神大震災