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ボランティア体験記/阪神大震災

被災地で過ごした日々 4

裕福になったボランティア

 5月には、避難所からはなれて、別のボランティア団体に行きました。引っ越しの手伝いや、屋根のシート張り、障害者マップづくりが、主な仕事です。どうしても、若いボランティアたちは、目に見える華やかな仕事をしたがって、被災者の重い気持ちとお付き合いすることは敬遠されがちです。

 また、もうそのころになると、店で何でも買えるし、不自由をすることはありません。食事も、新しいおいしいものが、いくらでも食べられます。2月のボランティアは、ないものづくしの生活に満足していました。その緊張感の中で、水を得た魚のように、いきいきしていました。5月のボランティアは、豊かです。豊かなのはいいんだけど、被災者は、絶望のどんぞこという人もたくさんいる。ボランティアは、依頼のあった仕事をして、残りの時間は、自分たちで楽しくすごしている。私はやりきれなくなって、2日でそこを去りました。

ボランティアって何?

 某大学が、学生を交代で派遣していました。大学がひとりひとりに交通費と食費を支給します。彼らのひとりが言っていました。「ボランティアはあまり動いてはいけないんです。被災者の自立を邪魔するからです。心のケアもしてはいけないんです。被災者が頼ってきて、途中で帰ってしまうと、相手が落ち込むからです」と。私は、「じゃあ、ボランティアはなにをするの?」と聞くと、彼は「うーん」といって考え込んでしまいました。彼らは、ボランティアどうし、とても楽しそうです。楽しいから、もう一度来たいなんて言っています。たしかに、ひとりひとりは、すなおでまじめそうなのですが…。

 ボランティアは報酬をもらってはいけないとこだわるのもどうかと思うが、自分で苦労してやってきた人と、段取りをしてもらって来た人とでは、心がけに大きな差があったのは否めない。

 これに関連して、あちこちで見られたとっても不思議な現象がありました。

 震災直後、ぞくぞくと被災地にかけつけた若い人たちは、夢中になって、ほんとに身も心も尽くして被災された方たちのために働いていました。失礼ながら、この子たちにこんなことができるのか!と言いたくなるほどで、それはそれは美しい姿で、ボランティアたちは、胸をふるわせながら、被災された方と同じかそれ以下の状況に身をおいて、がんばった。というのは、震災直後の話。

 1カ月、2カ月と泊まりこんでるボランティアもけっこう多かったのですが、だんだん、時がたつにつれ、ボランティアの様子が変わってきました。はじめのような緊張感がなくなってきて、悪くいえば遊び気分で来る人が目立ちはじめました。と同時に、長期のボランティアたちが、ボランティア生活のあまりの充実感からか、ボランティアどうしが親密になりすぎて、被災された方から見て、近づきにくい雰囲気ができていきました。これは、あっちでもこっちでも見られた現象です。はっきり言う被災者は、「あいつらは遊びに来とんのか。ふざけるな。傷ついた人たちが集まってるとこで、なにをチャラチャラしとんねん。ピクニック気分でボランティアすんのやったら、さっさと帰ってくれ」と言っていました。

 震災直後には、あんなに自分を捨てて働いてたのに、わずか1カ月ぐらいで、こんなにも変わるのか、なぜ? 3月の終わりごろには、いたるところで、同じような現象がおきていたようです。私は、ボランティアに来た人たちの志を深く尊敬したいから、このような現象がおきるのが、くやしいのです。どうして、こういう現象がおきるのか、いまもわかりません。いろんな人にきいたけど、ちゃんと説明してくれた人はいません。だから、こういう現象がおきるのを防ぐ方法も見あたりません。

忘れられた被災者たち

 4月以降は、マスコミもオウム報道一色で、地震そのものが忘れられたかっこうです。たまに報道されても、明るい復興の話題ばかりです。でも、被災地に行って感じるのは、ますますつのる絶望感です。

 人間は物じゃない。教室にいる人数が減ってきたからつめて教室をすこしでもあけようとすれば、みんないやがる。せっかく共同生活をする人間関係ができてきたのに、またそれをいちから作っていかないといけないなんて、だれだってかなわないはず。あっちからこっちへ物をうごかすのではない。避難所から出ようとしない被災者は甘えてるって? とんでもない。そういう人は、いっぺん避難所へとまってみたらいい。あいている仮設住宅に入らない被災者はワガママだって? いいですか、自営業の人たちは、地域がバラバラになったら、商売がなりたたないんですよ。とくに内職にたよってきた業種は、もうやっていけない。収入が見込めない人たちに、ちょっと買い物に行くだけで交通費が3000円もかかるようなところへ住めと言えますか。仮設住宅へうつればたちまち生活のできなくなる被災者も多いんです。だから、避難所の中で仮設に当選した人が「ごしゅうしょうさま」なんて言われていました。

 被災者の中には、どんどん持ち直していく人が多いのも確かです。目に見える部分についてはあれよあれよという間に変わっているのも間違いありません。でも、いや、だからこそ、そこから取り残されていく被災者たちは、言いようのない絶望感、挫折感、惨めさをつのらせていきます。そして、そこへ目を向ける人も、あまりいません。胸のつぶれる思いがしています。

ボランティアの種が散っていく

 今回、若い人たちが、あとからあとから、ボランティアにかけつけました。その多くは、今、それぞれの生活の場にもどっています。彼らは、彼女らは、どうしているのでしょう?

 あるていど長期的に活動していた人は、その後も、地域の福祉活動にかかわっているようです。何人かは、電話や手紙でその後の様子を知らせてくれました。風のたよりにうわさを聞いた人もいます。

 ボランティアという形はとっていなくても、被災地での経験を生かして自分の将来を考えたり、福祉や教育を志そうとする人が多いようです。理屈ばかり言ってぜんぜん動こうとしなかった人たちも多いけど、ボランティアに行ってかえって被災者を困惑させた例も多いけど、ボランティアは失敗だったという批判もあるけど、とにかく、動いた人たちがいて、それに心を動かされた被災者たちがいて、ボランティアに行って何かを学んできた人たちがいることは、せいいっぱい評価してもいいんじゃないかと思います。

 被災地で得たものが、それっきりになっていないのが、本当にうれしい。もとの場所に帰ったら、ボランティアの仲間はもういないかもしれない。でも、ひとりが動いて、まわりの人たちもつられて動き出したら、日本の国が、変わっていくかもしれない。私たちひとりひとりの気持ちと行動が、大きなうねりとなっていくことを、あきらめずに信じていたい。

モモ 記



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