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ボランティア

阪神大震災

 

震災直後、ボランティアに行ってきました

 阪神大震災の後、被災地へボランティアに行ってきた。

 2月は芦屋市ボランティア委員会(7日間)と、長田区の真陽小学校(5日間)。3月は真陽小学校(9日間)。4月は長田区の御蔵小学校(8日間)。5月はすたあと長田(2日間)と、須磨区大黒小学校(2日間)。ほかに、灘区高羽小学校と、神戸大学震災救援隊にも、ほんの少しおじゃました。

 こんなにあちこち渡り歩いたのには、わけがある。自分はまだ甘いのではないか? もっともっと苦しい人たちがいるのではないか? という思いが、私を1カ所にとどまらせなかった。

 こうして、被災地にいさせていただいた間に、たんといろんなことさせてもろた。給水車の補助、おとしよりの家に水を運ぶ。仮設シャワーの風呂炊き。家庭訪問。子どもたちと遊ぶ。炊き出し。掃除。救援物資の仕分け、配給。半壊家屋の家具運びだし。被災者の話し相手。引っ越しの手伝い。エトセトラ…。

 今ここで書きたいのは、過ぎ去ったできごとではない。未来に向けて、ボランティアのための足がかりを残したい。

ボランティアの光と陰−光−

 ボランティアに来た人たちに聞いてみたら、「被災者を助けるために来た」と言う人はあまりいなかった。話しているうち、ボランティアに来た人自身の問題に戻っていく。私が知っているかぎり、ボランティアに来ていたのは、みごとに自分は何もできない人間だと思っている人たちばかり目立った。

 まだ震災から2週間ほどしかたたないころ、私は芦屋市ボランティア委員会にいた。市役所となりのプレハブで、数十人のボランティアが、衣食住に関して言えば、避難所以下の生活をしていた。しかし、私たちは、本部から、おにぎりやパンやラーメンをあてがってもらっていた。ある日の夜、ミーティング中に、ひとりのベテラン風の新入りボランティアが、「みんな、この食事を食べてて、何とも思わないのか? 被災者の中には、まだ食べるものに不自由している人もたくさんいるんだよ。君たちは、平気で食べられるのか?」と。みんなに言った。「じゃあ、オレたちに何も食べるなというのか」と、険悪な雰囲気になった。われわれの食事は、避難所にまわった残りで、もう腐りかけていて、胃腸に自信のある人でないと思い切って食べられないようなものばかりなのだ。新しく来た彼は、それを知らなかったようだ。彼は、その場にいられなくなり、去った。少し後で、まだあどけなさの残る少年が、部屋の中で、暗くうずくまっていた。「どうしたのか?」という問いかけに彼は、「オレはわかっていなかった。毎日食べてるものに、疑問を持たなかった。さっき言われて、やっと気がついた」と言う。まわりに人が集まり、「そうだ、ぼくも甘かった」「私もあかんわ」などと、口々に言う。ここに私は、ボランティアの原点を見る。ところで、そのときの私は、勇気ある発言にショックを受けなかった自分に、少年の言葉によって気づかされ、若い子たちの足元にも及ばぬ自分がうらめしく、気を引き締めざるをえなかった。この緊迫感が、私は好きだ。

 おとしよりの家へ、タンクに入れた水を持っていく。おとしよりは、玄関で、私たちに向かって、手を合わせた。こちらがわにいるのは、なまくらな人間である。しかし、あちらからは、観音様の化身に見えたのかもしれない。私たちがしたことは、じつにささやかなことだ。しかも私たちは、手を合わせていただけるような人格ではない。手を合わされた私たちは、いそいそと退散した。強烈な体験であった。

 私たちは、自分がよほど何もできないことを思い知らされた。自分の日々の悩みがいかに甘いものであったかを思い知らされた。しかし一方、我を捨てた活動が、どれほど心地よいものであるかということを、体で知った。

 私がボランティアに行かせていただいてもっともうれしかったのは、「ありがとう」という言葉ではない。「今度よそで何かあったら、自分はまっさきにかけつける」という被災者自身の言葉である。

ボランティアの光と陰−陰−

 「ボランティアに行って、いちばんよかったのは何ですか?」と尋ねられて、「友だちがたくさんできたこと」と答える人が多い。この感性に私は、なじめない。なにも、深刻な顔してボランティアすることはない。被災された方たちに元気を持ってもらおうと、明るくがんばるのはだいじなこと。しかし、ボランティアたちが浮かれている横で、家をなくし、家族を亡くし、明日の見えない方たちが、たくさんいる。被災地は、キャンプ場ではない。

 おおむね、若い子たちは、見栄えのする派手な仕事をしたがる。被災者の重い話につきあうなどという辛気くさいことは敬遠されがち。「心のケアは素人がすべきでない」という御仁もいるが、苦しみ悲しみを見ずに、ボランティアというものが成立するのか? 話を聞くことぐらい、誰にでもできるではないか。「ケアしよう」などと考えることはない。

 「心のケアをします」と言って、避難所をまわっていた人たちもけっこういた。でも、なかなか、被災者は話さないよ。けど、避難所に泊まり込んで、一生懸命になっているボランティアたちには、(頼りない者たちばかりだとしても)、被災者は、自然と話しかけてくる。ボランティアが、何らかのアドバイスをしてくれるとは、思っちゃいない。ただ、安心して、思わず心があふれでてくるのだ。話すだけ話したら、楽になる。どんなに困難でも、自分の人生は自分で切り開かなければいけない。そんなこと、被災された方たち自身が、よーく知っている。

 宗教団体として来ていた人たちは、すすんで掃除をするが、一般の若い子たちは、とんと掃除をしない。とくに、トイレ掃除はしない。それを指摘すると、「掃除をしたら、被災者の自立を妨げるから」と、じきに理屈を言う。あんたは、いったい何様のつもりなのか? そんなことで、どうやって被災者に受け入れていただけるのか? どうやって、被災者の苦しみや悲しみを分かち合えるというのか? だまって掃除をしてごらんなさい。被災者の中に、「よそから来た人がこんなことまでしてくれてる」と言って掃除をしだす人が、必ずあらわれる。それを、「自立」と言うんじゃないの?

 「自立」という言葉も怪しい。「被災者の自立」いうのは、被災者を見下ろしているように聞こえる。私は、「自立」を、経済力、あるいは生活力とは考えない。ただ、「前向きに生きること」と考えたい。いくら多くの収入があって、いくら社会的地位が高くても、不平不満ばかり言ってたり、自分さえよければと思ってたりする人が自立してるとは、思えない。むしろ、幼い子どもでも、明日を信じて強く生きてる子を見れば、人間としてのたくましさを思う。

 被災者も、ボランティアも、自立できてないから、いっしょに自立をさがし、つくっていこう。そんな活動が、私は好きだ。

ボランティアという生き方

 「ボランティア」は、日本語に訳せない言葉である。これまで、ボランティア=奉仕と考えられてきた。しかし、英語のvoluntaryに、「奉仕」の意味はない。ボランティアは「自発」なのだ。自分の意志で、ということなのだ。

 ボランティアに来たのは、生活にゆとりのある人より、自分自身の生活が危うい人たちの方が、かなり多かったようだ。もちろん、私も、そのひとりだ。生活にゆとりのある人は、自分の生活を守ることに気が行くらしい。生活の危うい人は、「失うこと」をおそれない。今回、試験を捨て、あるいは仕事を捨ててかけつけた人も多かった。私には、その気持ちがわかる。捨てることは、心地よいのだ。

 そして、捨ててこそ、地面にはいつくばって、なにがしかのものが、見えてくる。

 すべての人が生活を捨ててしまったら、それはそれで、まずいだろう。自分の生活を守りながら、できる範囲で、物やお金で支援する人たちも、必要だ。

 だが、生活を捨ててしまう人も、世の中には、必要なのだ。

下中島公園の田中さん

 私は、いろんな避難所にいさせていただいて、被災者の情況は、わかっているつもりでいた。

 震災の翌年の4月、須磨区の下中島公園を訪れたとき、今までの私のボランティア活動をすべて返上し、スタートに戻らなければならなくなった。

 この公園には、公的仮設住宅に入れない人たちが、コンテナハウスや、ベニヤ板でつくった犬小屋のような家に住んでいる。ここの人たちは、震災以来、食事の配給を、いちども受け取ったことがないと言う。ここの人たちは、仕事を出来ない人たちがほとんどだ。生活保護を申請すれば、住所不定ということで、受け付けてもらえない(最近、交渉のかいあって、少しずつ保護のおりるケースも出てきたらしい)。

 私たちは、マスコミの報道によって、被災地が復興されていると信じ込んでいる。復興とは、いったい何なのだ? 道路や公共施設を造ることなのか?

 仮設住宅は、1カ所に50軒以上がかたまっているかどうかで、うんとちがう。50軒以上のところは、行政のケアが入る。報道されるのも、そんなとこばかりだし、ボランティアが行くのも、そんなとこばかり。小規模仮設は、存在すらあまり知られない。そして、そうやって放置された仮設には、アルコールにおぼれる人も多いと聞く。

 下中島公園のリーダーをつとめる田中健吾さんは、そんな、忘れられていく被災者のために、自分の生活を捨てた人間である。震災前に経営していた工場は、もう再建できない。公園のコンテナハウスには、レンタル料がかかる。それを、田中さんが、自分の貯えを切り崩してあてていた。もう、貯えも、底をつく。公園の人たちは、行くところがない。

 田中さんは、下中島公園のみならず、「全神戸テント村連絡会」「全神戸避難所連絡会」「兵庫県被災者連絡会」の事務局長もつとめる。大きなものを、通り抜けた人である。人生に迷いを持たぬというお顔をされている。

モモ 記

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