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ボランティア体験記

骨髄移植体験記 その2

6年後、第三次検査 の案内が来た。忘れていたころ、とつぜん。第三次検査までいくと、ぐっとドナーの可能性が高まる。私は、健康には自信があった。型が一致しさえすれば、きっと、ドナーに選ばれるだろう。コーディネータさんと、電話でうち合わせ。車で1時間ほどの病院で、検査を受けることになった。3月のこと。病院で、コーディネータさんと初めてお会いする。穏やかで、腰の低い、感じのいい女性の方。ドナーになるかも知れない私の志を大事にしてくれるのがよくわかった。骨髄移植の具体的な詳細についてはまだ知らされないが、今後の予定について、説明を受ける。今日は、血液内科の先生が、ずいぶんたくさんの採血をした。採血後、貧血を起こして気分が悪くなった。「めったに入れない場所ですから」と言って私を休ませてくれた所は、看護婦控え室。

検査後 2週間ほどで、検査結果が郵送されてきた。ほとんどの項目が基準値におさまり、梅毒・HIVも陰性だった。検査結果は「異常なし」2ヶ月以内に移植の実施について連絡があるとのこと。ちょうど4月に結婚した私は、さっそくつれあいに提供したい気持ちを伝え、理解を求める。「いいよ〜」ってカンジ。ところで、バンクからもらった説明書には、移植に伴う事故の報告が強調されていた。一過性のものはどうってことないけど、麻酔による死亡事故が、イタリアで1件、日本で1件ある。めったにないことだが、リスクがゼロではない。2ヶ月以内に連絡というが、5月を過ぎてもまだ決まらない。じれったく思うが、患者さんの容態が悪化したのかとも心配する。そして、8月上旬、ドナーの最終候補者に選ばれたと連絡があった。

移植手術の1週間前から、患者は放射線治療を受け、自分の白血球を死滅させる。そして、ドナーからの骨髄を受け取って、体内に定着させていく。その間、菌に対する抵抗力が無くなるので、無菌室で過ごさなければいけない。その段階で急に、ドナーが提供できなくなったら、それは患者には「死」を意味する。

最終同意 が、8月中に病院で行われた。担当医、コーディネータ、私、つれあい、そして保証人として別の医師がテーブルにつき、私たちはコーディネータさんから詳しい説明を受けた。特に、リスクが強調された。もともと私ははっきりした意志があって決めたのだから、今さら迷うものでもない。つれあいも、たんたんと、同意。

あとで聞いたことだが、つれあいはやはり、不安がないわけではなかったという。「もし、自分の家族が白血病にかかって、骨髄移植しか助かる道がないとなれば、ドナーを求めるだろう。なのに、自分が提供できる側に立ったとき、拒否るのは自分の気持ちがおさまらない」と、考えたそうだ。私への気遣いでなく、つれあいも、自分の意志で同意したのだった。

最終同意に合意することは、患者さんの生命を左右する立場に立つことになる。もし、私が直前に意志が変わらなくとも、風邪を引いたり、交通事故にあったりすれば、患者さんは生きられないかも知れない。

提供へ向けて、自己採血 などの準備が続いた。ドナー選定までは待たされたが、いったん決まると、トントン拍子。心電図、肺機能など、種々の健康診断の他、自己採血が2回あった。骨髄採取により、ドナーが貧血に陥らないよう、ドナー自身の血液を前もって採取し、保存しておき、骨髄採取の際に返血するのだ。診察室のベッドに横になり、時間をかけて採血する。第三次検査で貧血を起こしているから心配するが、とくに貧血は起こさなかった。ただ、検査や採血で、ひんぱんに病院へ通わないといけないのは正直、負担だった。会社勤めだったら、無理だろうと思えた。たまたま私が、それに応じられる環境だったからよかったが。

入院を目の前にして アクシデント。いよいよ、入院の日程が詰められる。私の予定もいろいろとあるのだが、患者さんの容態を最優先すべきだろう。私は、できるだけ、融通を利かせた。入院を前に、不測の事態が起きた。入院の4日前に、つれあいが流産したのである。精神的にも、動揺が大きい。もちろん、私も、ショック。私の入院の直前に、つれあいが入院・手術。自分たちの子どもの去っていった命。自分たちが助けられるかも知れない命。

モモ 記

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