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ボランティア体験記

三国沖重油災害 ボランティアに行ってきました 2月5日

朝一番で受け付け 

 朝起きると、カッパを着て、センターへ向かった。受付は8時から。登録し、ボランティア保険に入り、宿泊の申し込み。

 ゴム手袋も長ぐつもあるが、活性炭入りマスクはない。センターでもらった。救援物資として、たくさん届いているらしい。センターでは、申し出れば、カッパやゴム手袋も、供与してくれる。体ひとつで来ても仕事はできるようだ。ボランティアの多くは、カッパもゴム手袋も自分で用意してきている。センターから受け取る人はあまり見あたらない。

 用意のできた人から、その日の作業現場が割り当てられる。ここには、6つほどの現場がある。私は、梶へ行くことになった。40人ほどが、マイクロバスに乗った。バスには、油で汚れないよう、ビニールが張り巡らされていた。


重油をバケツで運ぶ 

 梶の海岸へおりた。ひしゃくですくうほどの重油はもうないが、コブシぐらいの大きさの石でいっぱいの海岸は、真っ黒だ。これから、この海岸で重油を竹べらでとって、バケツに集める作業をする。私は、それぞれの人がバケツに集めた重油を回収し、トラックのところまで持ってあがる役割を担当した。

 バケツはすぐにいっぱいになる。油まみれの石の上を歩いて回収するのも容易でない。油まみれのバケツをさわっていると、じきに手袋もカッパも油まみれになってくる。でも、重油でいっぱいのバケツを坂の上まで持ってあがるのは、もっとたいへんだ。ごっつい体格のお兄さんも運搬係をしていたが、「心臓がパッコンパッコンする」といって、しんどそうだった。

 しゃがみ込んでヘラですくってる人たちも、真っ黒け。美しい(^^;)おねーさんがたも、近寄りがたいほどの汚れよう。てきとうにおしゃべりしながらやってるものの、なかなかたいへんな労働だ。遊び気分にはなれない。それに、ボランティアに来るってことは、とりもなおさずボランティアであって、遊びではない。そういう気持ちは、みんな持ってる。だから、油まみれになるのは、本望。文句を言う人は、もちろん、ない。

 12時前、現場監督(これもボランティア)が、昼食を宣言した。赤十字が、炊き出しをしてくれている。ありがたい。こんな油まみれで食事をするのは、困難をきわめる。カッパをぬがなくても、そのまま食事を受けとれるのは、助かる。こうやって、後ろで支えてくれる人がいるからこそ、ボランティアができるのだ。本部の人たちだって、みんなボランティアだ。受付や仕事の割り振りや段取りなど、裏方でがんばってくれている人がいる。だから、私たちは、現場で動ける。


石を1個ずつウエスで拭く 

 午後からは、バケツで回収する作業は一段落し、海岸の石を1個ずつウエスでふく作業へ移った。石、といっても、この海岸に、どれほどの数があるだろう?波打ち際から、10メートル以上離れたところにも、油はある。高波に打ち上げられたそうだ。今ふいている石、いくらきれいにしても、次の高波で、振り出しに戻るのでは? この仕事、末代までかかる...

 バケツで集める量が減ったから、運搬係は私ひとりになった。そのぶん、しんどい。休む間なく動き続けないと、バケツがいっぱいになる。山に住んでる人間なればこそ、さほど苦にもならないが、重労働にちがいない。でも、少し前、大量の重油をひしゃくですくうのは、もっと重労働だったそうだ。

 3時ごろ、本日の作業終了。灯油で手袋や長靴を洗い、おがくずでふきとる。カッパは、その場で脱ぎ捨てる。マイクロバスで、本部へもどる。沖合では、船首部分からの重油ぬきとり作業がつづけられている。


芦原青年の家で宿泊 

 今日の宿泊は、芦原青年の家。本部から、車で20分ほど。三国町のボランティアセンターでは、無料で宿泊できるところを、確保している。青年の家も、その一つ。食事はお金を払うが、宿泊は、無料。40人ほどのボランティアが、ここへ泊まった。

 まさか、ベッドでふとんの上に寝られるとは思っていなかった。阪神大震災時のボランティアを思い出す。芦屋では、プレハブの1広間に、100人ほどが寝袋使って、体を寄せ合うように寝たっけ。男女が部屋を別にできる余裕もなかった。暖房もないし、風呂もないし、寒かったなぁ。避難所で泊まっても、同じこと。それが当たり前だと思ってた。

 今回も「ボランティア」にはちがいないが、災害の内容がまるで違う。重油が原因で死んだ人はいない。つぶれた家もない。悲惨さがただよっていない。大災害ではあっても、「明日」がある。阪神大震災では、いつまでたっても、「1月17日」のままで、「明日」の見えない人が多かった。

 震災では、ボランティアが酒を飲むなど、考えられなかった。三国ではちがう。その日の夜、酒盛りが始まった。小部屋に分割されたボランティアどうしがコミュニケーションする場は、そこだけだった。宿泊者の半分以上が参加した。

 ボランティアは、ボランティアをする目的で、ここへ来ている。だから、酒盛りして、羽目を外しても、ふつうの宴会とはちがう。あたたかいのだ。志を持った者ばかり集まった場所は、えもいわれぬ暖かさがある。「あー、来てよかったー」ってしみじみ思う。

モモ 記

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