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加茂町/歴史と紹介

恭仁京(くにきょう)

恭仁京の位置

国道163号線の北側に、昔の都の跡がある。
平城京から平安京へ移る間にあった都、恭仁京。
わずか3年余りだが、加茂町は、日本の首都だった。
いまは、静かな野原に、碑が立つのみ。

恭仁京関連のリンク先は、加茂町のリンク集へ。

恭仁というところ

 瓶原(みかのはら)地区は、のどかな田園風景が広がっている。非常に古い歴史をもつ恭仁小学校の校舎は、木造建築。この恭仁小学校の隣は広場となっていて、山城国分寺跡の碑が立っている。そして、小学校の裏にも、山城国分寺跡の碑がある。恭仁京の跡地が、山城国分寺として利用されたのだ。

 恭仁小学校から500メートルほど西へ行くと、恭仁神社がある。山城国分寺の祭神が遷座されたようだ。

恭仁小学校
恭仁小学校
恭仁の風景
恭仁の風景

山城国分寺跡(恭仁宮跡)の説明板

山城国分寺跡
山城国分寺跡(恭仁小学校の隣)

【由 緒】

史跡 山城国分寺跡(恭仁宮跡)
指定日 昭和32年7月1日

 恭仁京は、奈良時代に聖武天皇によって造られた都です。当時、たびたび疫病や戦乱に見舞われ、世情不安の中、こうした事態を打開するためか、聖武天皇は、奈良の平城京を離れ、各地を転々とした後、天平12年(740)に現在の加茂町瓶原の地を中心に新都を定めました。しかし、恭仁京は天平16年(744)にわずか4年あまりで廃都されてしまいます。

 その後、宮域は大極殿を中心に、山城国分寺として再利用されることになります。山城国分寺跡は、恭仁宮の大極殿をそのまま用いた金堂跡を中心に南北3町(約330m)、東西2町半(約275m)の広大な寺域をもつ寺でした。山城国分寺跡(恭仁宮跡)には、現在も金堂跡(大極殿跡)基壇と塔跡基壇が地表に残されています。周囲を塀に囲まれた塔は、残されている基壇跡や礎石跡から考えて七重塔であったと推定されます。

加茂町教育委員会

恭仁宮大極殿と山城国分寺跡の説明板

恭仁京大極殿跡
恭仁京大極殿跡(恭仁小学校裏)

 この場所は、天平12年(740)12月15日に、聖武天皇が「恭仁宮に幸す」と宣言して、平城京(奈良市)から遷都してきたところで、恭仁宮と呼ばれました。聖武天皇が恭仁宮に遷都された理由は明らかではありませんが、北に急峻な山地をいただき、南に平野がひらけてその中央を泉川(木津川)がゆったりと流れる瓶原の環境も無視できない重要な要素でした。「万葉集」には、新しき都を讃(ほ)める歌が収録されています。

三香(みか)の原 布当(ふたぎ)の野辺を 清みこそ
大宮ところ 定めけらしも(1051)

咲く花の 色は変らず ももしきの
大宮人ぞ たち変りける(1061)

このように新京を詠んだ歌には、季節によって移ろう景観の美しさや「泉川」と呼ばれた木津川の清流に心ひかれたものが多いようです。

 恭仁京の中心には、天皇の住まいや国の行政官庁が入っていた恭仁宮が設けられ、宮の中央に国政をつかさどる建物が配されました。そこには平城宮から移築された大極殿がそびえ、天平の甍(いらか)が輝いていたのです。現在、恭仁小学校の裏にある土壇が恭仁宮大極殿の跡で、昭和51年(1976)京都府教育委員会によって発掘調査が実施されました。

 恭仁宮はわずか3年余りの短命な都でしたが、この大極殿をはじめ、恭仁宮の中心部はのちに山城国分寺として再利用されました。大極殿(国分寺金堂)跡の東側は、国分寺の鎮守社として祀られていた御霊神社(ごりょうじんじゃ)の境内地だったところで、永年地域の氏神として信仰を集めていた杜(もり)には楠や椿が繁茂して、大極殿跡とともに歴史的な景観を保っています。恭仁宮跡の発掘調査は、昭和49年(1974)より京都府教育委員会によって行われ、平成8年(1996)には宮域が確定しました。

加茂町教育委員会

恭仁神社

恭仁神社の鳥居
恭仁神社の鳥居
【祭神】

崇道天皇
藤原太夫人
菅原道真公

【本殿】

春日造

【祭儀】

元旦祭1月1日午前零時 初詣でにぎわう

春祭(オンダ祭)3月上旬 おんだ松をお供えし、五穀豊穣と諸災消滅を祈願する

秋祭り10月17日 春祭りで祈願した豊作を祝う

新嘗祭11月23日など


恭仁神社の本殿
恭仁神社の本殿
【沿革】

 もともと菅原道真公を祭った村社天満宮で本殿は、文久3年(1863年)に奈良春日若宮の社殿を移築したものである。

 昭和40年に、現在の恭仁京あとに鎮座していた御霊神社と合併し神社名を恭仁神社と改められた。

 祭神は、御霊神社から遷座された崇道天皇及び藤原太夫人ともともと天満宮に鎮座の菅原道真公の3神である。

 当社の特徴は、長い参道の正面に舞殿とその左右に仮屋を有し、その奥に割拝殿と本殿を配するという南山城地域特有の社殿配置をなしている。

 現在も、秋祭りには仮屋において宮座が開かれにぎわいをみせている。昔から伝わるお祓いに、六三の祓いがある。

説明板より

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