加茂町南部は、当尾と呼ばれ、お寺や石仏が集中しています。
石仏巡りは、ハイキングコースにもってこい。
岩船寺、浄瑠璃寺を中心に、数々の石仏。
その道々には、当尾の産物を吊している無人売店がたくさんあります。
心のおちつく、いいところです。
1日かけて、あるいは泊まりがけでゆっくり時を過ごしてみたいもの。
青少年の家、プラネタリウム館があるのも、この地区です。
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はなやかな古代の喧噪(けんそう)が去り、都も平安京に遷ると、東大寺や興福寺のほか皇室領荘園が設けられ、中世を迎えます。南都に近いことから、興福寺や東大寺の修行僧が別業(べつごう)を営み、瓶原の海住山寺や南部の当尾を中心に仏教文化が花開きました。浄瑠璃寺や岩船寺かいわいは、小田原と呼ばれ、寺院や修行場が散在して、行き交う人々を守るかのように多くの石仏も造られました。
当尾の名は、鎌倉時代後半ごろ「塔尾」として登場します。浄瑠璃寺・岩船寺の三重塔をはじめ、随願寺廃寺の三重塔、十三重石塔や五重塔なども入れるとどれぐらいになるでしょうか。おそらく、塔の多い丘陵ということなのでしょう。
鎌倉時代に、大灌漑(かんがい)用水路(大井手)を建設した瓶原に代表される、土豪を中心にした村の結束が中世を通じてみられるのもこの地域の特徴です。
元弘の乱(1331)で笠置山に後醍醐天皇が籠城した際、「悪党」と呼ばれる在地土豪たちが天皇を助けたと言われます。結束した村々は、「惣(そう)」と呼ばれる自治村落を形成し、木津川や街道筋の運送業を手がけて力を蓄えていきます。永禄11年(1568)、織田信長が入京する際、賀茂、瓶原郷の土豪に対して足利将軍への忠勤を命じていますが、信長にとっても無視できない存在にまで成長していたのです。