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笠置町/歴史と紹介

沿革

山と川と歴史のまち・・・笠置

 笠置は、笠置寺の創建や東大寺造営にあたっての良弁上人木津川開削伝承から、すでに奈良時代に木津川の津(港)として栄えたと推測されます。木津川上流にあった東大寺の杣山から伐り出した材木を寺の普請にするため木津まで筏流しする途中の津で、東大寺との結びつきは強く、古代・中世を通して東大寺領の笠置庄として繁栄しました。

 笠置町の象徴である笠置山(標高288m)は、弥生時代の有樋石剣の出土が認められ、古来より自然崇拝が行われていたことがわかっています。奈良時代中期のものと推定それる笠置寺の本尊、弥勒大磨崖仏や虚空蔵の磨崖仏などは古来の磐座信仰と仏教思想が一体となったものです。なかでも平安の末法思想にともなう弥勒信仰の隆盛で、鎌倉時代まで「笠置詣で」が全盛を極めました。多くの修験者や行人の修行の場としても繁栄しましたが、鎌倉末期、後醍醐天皇が笠置山を要塞として行在所を置いたことによって北条幕府との攻防戦の舞台となり、山は焼失、衰退します。

 近世に入ると伊賀上野にいたる伊賀街道は、山城からの伊勢詣での街道として賑わい、笠置の地は藤堂氏を藩主とする伊勢津藩の所領となります。明治4年(1871)に旧京都府管下に統合され、明治22年(1889)には笠置村、切山村、有市村、飛鳥路村の4ヵ村が合併して、現在の笠置町の前身ともいえる笠置村が誕生しました。明治30年(1897)には関西鉄道伊賀上野〜加茂間が開通、笠置駅が設置され、翌年には伊賀街道の改修により、笠置北〜有市間の木津川河岸の絶壁を拓いて新道が開通し、他市町村との交流や新人口の流入など近代化が一段と進みます。また、明治末年には木津川に南北笠置を結ぶ木橋が架けられました。

 大正時代には笠置山登山道路が改修され、昭和3年(1928)笠置山史跡名勝地保存会が発足。昭和7年(1932)に笠置山と山麓および木津川景勝地131.1haが国の史跡名勝地として指定され、風光明媚な観光地としての基盤が整いました。

 昭和9年(1934)、村民一致の強い希望によって町政を施行、笠置町として新たな一歩を踏み出しました。昭和24年(1949)には京都府立自然公園に指定され、日本の古い歴史が息づく、自然に恵まれた町としてその歩みを進めています。また、観光立町としても知られ、年間50万人を超える観光客が訪れています。

(笠置町 町政要覧 より)

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