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木津町/歴史と紹介/木津駅〜山田川駅

荒神塚池

近鉄沿いの、大きな池の伝説って?

荒神塚池
「希望の道」は、池の東側
希望の道
「希望の道」の石碑

 国道163号線は、近鉄の上をまたいで行きます。いつも国道ばかり走っているとあんがい気がつきにくいのですが、ちょうど国道が高いところを走っている区間、国道の下に大きな池があります。近鉄とならぶように、広がっています。


 「木津町 GUIDO MAP」には、次のような記述があります。

この池には垂仁天王の四女竹野姫にまつわる言い伝えもあり、現在は整備され、池堤は桜並木が連なり、池には噴水もあがり「希望の道」として、付近住民の憩いの場となっています。

 竹野姫というと、『日本書紀』に登場します。垂仁天皇(在位 紀元前29年〜紀元70年。日本は弥生時代?)のころ、但波から女性5人を迎え入れたところ、その5人うちの竹野姫は「形姿醜き困りて・・・故郷へかへした」とのことで、竹野姫は恥ずかしさのあまり、くにへ帰る道すがら、葛野で、乗っていた輿から落ちて自害しました。この地を堕ちた国「墜国(おちくに)」と名づけ、「弟国(おとくに)」となり現在の地名「乙訓」となったという話があります。

 十五年の春二月の乙卯の朔甲子に、丹波の五の女を喚(め)して、掖庭(うちつみや)に納(めしい)る。第一を日葉酢媛(ひばすひめ)と曰ふ。第二を渟葉田瓊入媛(ぬはたにいりひめ)と曰ふ。第三を眞砥野媛(まとのひめ)と曰ふ。第四を薊瓊入媛(あざみにいりびめ)と曰ふ。第五を竹野媛(たかのひめ)と曰ふ。

 秋八月の壬午の朔に、日葉酢媛命(みこと)を立てて皇后(きさき)としたまふ。皇后の弟の三の女を以て妃(みめ)としたまふ。唯(ただ)し竹野媛のみは、形姿醜きに因(よ)りて、本土(もとのくに)へ返しつかはす。則ち其の返しつかはさるることを羞(は)じて、葛野(かづの)にして、自ら輿(こし)より堕ちて死(みまか)りぬ。故(かれ)、其の地を號(なづ)けて堕國(おちくに)と謂(い)ふ。今弟國(おとくに)と謂ふは訛(よこなば)れるなり。

『日本書紀』巻第六「活目入彦五十狭茅天皇 垂仁天皇」

京都府乙訓郡というと、京都市よりは南、相楽郡よりは北、長岡京市と八幡市の間にあり、郡内の町村は大山崎町ただ一つです。木津町からはずいぶん離れており、はて、荒神塚池にどんな伝説がありますものやら・・・。ご存知の方は、ぜひ、教えてください。

荒神塚池
池を方から南へ向かって見た

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