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木津町/歴史と紹介/木津駅〜山田川駅

藤原百川公の墓

子どもたちを見守る墓

藤原百川公の墓がある公園
藤原百川公の墓がある公園
墓は、すべり台の向こう側

 相楽神社から国道を西へ行き、近鉄を渡る高架の手前の信号で北へむかうと、藤原百川公の墓があります。墓、というと、少々寂しげなイメージもあるのですが、なんとここは、公園になっています。いや、公園かどうかはわからないのですが、散歩道と小さな丘とすべり台があり、墓にはみえません。私が訪れた時も、子どもたちが遊んでいました。

 しかし、すべり台の横には大きな墓石があります。また、なんといっても、入口に大きな鳥居があります。もしかすると、藤原百川さん、子どもが大好きだったのでしょうか?

藤原百川公の墓

藤原百川公の墓
藤原百川公の墓
鳥居
公園(墓?)の入口には鳥居があります
鳥居と桜の間に墓が見えます

 実際は百川さん、政治面で大活躍し、藤原氏繁栄の基盤づくりをした人で、子どもが好きだったかどうか、そいつはわかりませんがね。

 木津町教育委員会による説明板を掲載しておきます。

藤原百川公の墓

木津町大字相楽小字城西

 藤原百川(ふじわらのももかわ)は、奈良時代末期の上級官人で、中大兄皇子を助け大化改新を成功に導いた藤原鎌足の曾孫にあたる。称徳天皇が僧侶の弓削道鏡(ゆげのどうきょう)を皇位につけようとして宇佐神宮のお告げを聞きに行かせたとき、勅使の和気清麻呂(わけのきよまろ)に働きかけてその企てを防ぎ、宝亀1(770)年に称徳天皇が没すると道鏡を追放して光仁天皇を擁立した。

 また、母が渡来人の出であった山部親王(後の桓武天皇)を皇太子に立てて平安遷都への道を開き、政権を藤原氏の手中におさめた。宝亀10(779)年7月、参議中衛大将兼式部卿従三位(さんぎちゅうえたいしょうけんしきぶきょうじゅうさんみ)の地位で没した(48歳)。

 『日本後紀』延暦16(797)年2月条には、相楽郡に墓地として2町6段の田を賜り、右大臣従二位が贈られたとある。これは、この時に相楽郡に改葬されたのではなく、本来墓がここにあり、墓域が広げられたのであろうと考えられている。

 また、延長5(927)年12月に撰進された『延喜式』の諸陵寮式には、太政大臣正一位が贈られ、夫人の墓も同所にあると記す。

 その後墓地の所在は分からなくなったようで、明治27(1894)年に至って、伝承や江戸時代の文献から藤原百川の墳墓の考証が行われ、当地を百川の墓と認定した。明治28(1895)年の平安奠都1100年奉祝祭の際に、正式に当地に比定された。

 ただし、残念ながら現在では、信用のおける文献を確認できず確定できないのが残念である。

    平成12年8月


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