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木津町/歴史と紹介/木津駅〜山田川駅

和泉式部の墓

和泉式部の墓

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 和泉式部は、平安時代の女流歌人として有名で、当地の伝説では、木津で生まれ宮仕えの後、木津に戻って余生を送ったといわれています。

 御霊神社から西へ行き、国道24号線下をくぐってつきあたりを南へ行き、踏切を渡ると、木津警察署。踏切を渡らず、線路沿いに西へ向かい、突き当たり手前に、和泉式部の墓石があります。私もこの道はよく通るのですが、いままで、気がつきませんでした。道は狭く、車を止めるのにも苦労します。墓石のまわりにはお堂があり、小さなお寺のような外観ですが、お寺ではなさそうです。

 境内は、きれいに整備されていて、地元の方々がしっかりお守りされている様子がよくわかります。

和泉式部が祀られているお堂
和泉式部が祀られているお堂
和泉式部の墓石
和泉式部の墓石

和泉式部という人

 和泉式部は、生没年不詳とされていますが、天元2年(979)年生説が真実に近いとも言われます。父は越前守大江雅致(まさむね)、母は越中守平保衡(やすひら)の女で、大江氏は文章(もんじょう)道の家で、式部も幼少の頃より詩歌に親しんだようです。式部はやがて、和泉守橘道貞と結婚し、子どもも生まれ、式部は夫の官名をとって和泉式部と呼ばれました。

 ところが、ここからが、波瀾万丈でして、式部は弾正尹(だんじょうのかみ)為尊(ためたか)親王、大宰帥(だざいのそち)敦道(あつみち)親王とのあいつぐ恋愛事件を起こし、夫と離別。その弾正宮は流行病をも怖れないという女遊びぶりが災いして若くして病没。そこで、式部は帥宮と仲良くなり、帥宮は正妃がありながらも式部を妻に迎えいれ、正妃はいたたまれず実家へ。その帥宮と仲良く過ごしたのもごく短い間で、宮は病没。式部は、一条天皇の中宮彰子のもとに出仕し(紫式部も同僚)、その出仕が機縁となって、20歳年上の丹後守藤原保昌に嫁入りし、夫と共に、任国へ下ったそうです。その後、晩年の足取りは不明な点が多く、不詳のようです。

 まあ、なんといいますか、現代の芸能人にもこういう人はいますが、式部が美人であったかどうかは定かでなくとも、多くの男性を引きつける魅力を備えていたことだけは間違いないようで、誕生地や墓所といわれるものは全国に散在し、それぞれ伝説が伝えられているようです。そしてまた、式部は、何かに憑かれたように放心する性質の女であったとも言われます。情念の昂ぶりにふと身を任せ、その刹那の感覚にしか生の証を見ようとしない、そんな女であったようです。


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