◆NAVI→   相楽ねっと   新着   サイトマップ   総合リンク集   ナチュプリ本舗
◆今はここ→   相楽好きやわ〜 >  南山城村 >  歴史と紹介


南山城村

歴史と紹介

南山城村のあゆみ

 585年、奈良の元興寺で落慶法要が執り行われたとき、山城国井手(現在の綴喜郡井手町)の住人が大伽藍を建立しようと思い立ち、大河原の里にたどり着いたと、ある古文書には記されています。そして、住人たちが堂を千房つくったことから、堂千房とか土千房と呼ばれるようになり、後に転じて童仙房となったとか。古文書の真偽はともかくとして、平城京に都が置かれていたころには、南山城村が開けていたことは間違いないでしょう。

 ひとつの確かな事実としては、大仏建立が盛んだった天平時代、土木工事に必要な材木を運ぶのに、木津川がひんぱんに利用されていたことです。木津川という名前からして、木が着く港という意味が込められているのですから、物流の重要な拠点として脚光を浴びていたことを否定することはできません。

 南北朝時代になると、南朝に味方していた笠置町有市地区の郷士たちが田山地区に移住。宮本座を形成して、田山花踊りが奉納される諏訪神社を建立しました。時は移り豊臣時代には、名張川の鮎を巡ってのいざこざがあったようです。そして江戸時代になり、村の大部分は柳生石舟斎を初代藩主とする柳生藩の所領になり、明治維新まで続くことに。

 当時の南山城村は高尾、法華平尾、田山、北大河原、南大河原、野殿の六つの村が伊賀街道の宿場町として栄え、笠置町の飛鳥路村を加えて柳生領内山城之国七ヶ村と呼ばれていました。

(村勢要覧より)

歴史
柳生
童仙房開拓小史
ロマン漂う夢絃峡

童仙房
  三ヶ岳



相楽ねっと    南山城村