◆NAVI→   相楽ねっと   新着   サイトマップ   総合リンク集   ナチュプリ本舗
◆今はここ→   相楽好きやわ〜 >  南山城村 >  歴史と紹介


歴史と紹介

童仙房開拓小史

 明治維新を迎えた京都では、東京に遷都されることで政治的な地盤が低下し、食料が手薄になるのでは、という危機感があったようです。それとともに、禄を失った士族の救済ということもあって、目を付けられたのが童仙房の農地開拓。当初の計画にあった士族の転入は取りやめになったものの、京都市内や郡内の有志を募って、明治四年には136戸が移住しました。

 水田22町歩、畑地115町歩、(茶園60町歩、雑畑55町歩)などを含めて合計約140町歩を開拓。同時に寺院や神社をはじめ学校、郵便局、警察署などが着々と整備されたのです。人口は約500人、京都府の童仙房支庁もできたほど。当時の繁栄を象徴するものとして、この地区で焼かれた童仙房焼が明治10年のイタリア万国博覧会に出品されたこともありました。

 しかしながら、明治12年に支庁が木津に移転したことで、徐々に発展のスピードが鈍り、のどかな農村として変貌していくのです。

(村勢要覧より)

次へ




相楽ねっと    歴史と紹介