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相楽郡プロファイル

相楽ねっとは町村合併に賛成しません

 モモとナナは、町村合併に反対という意見を持っています。以下に、個人的な意見を書きますが、その内容は、行政機関や各種団体にはいっさい関わりがなく、まったくモモとナナが責任を負うものであることを、お断りしておきます。

地方の時代

 中央集権型の社会から、地方分権へと変わっていくことが時代の流れであることは、多くの人が認めるところでしょう。問題になるのは、「地方分権のあり方」だと思います。地方行政を強化するために、行政単位を大きくし、市町村レベル(町村はなくなり、市のみになるかもしれませんが)の行政組織を強くするということを町村合併に期待する意見もあります。

 しかし、これは矛盾していませんか?

 中央の力を地方へ分散させることが目的なのに、地方において中央集権的発想をとっています。中央の単位を小さくしただけで、なんら構造改革がなされていないのではないでしょうか。中央から地方へというのは、単位を小さくするだけでは、昨今の行政が抱える問題を抜本的に解決することにはならず、従来の国レベルの問題を再度地方レベルで再現することにならないでしょうか?

生活が便利になるか

 町村合併によって、施設の利用が便利になるという意見もあります。たとえば、木津町にある施設を、南山城村の私が使おうとしても、制約があるのが、相楽市になれば制約がなくなるということでしょう。しかし、町村外からの施設の利用に制約があるのは、縦割り行政に最大の問題があると考えます。行政単位を大きくしても、基本的に何も変わらない。行政の仕組みそのものがダイナミックに変わらない限り、問題解決にはつながらないと思います。

財政事情

 これが町村合併の最大の理由ではないかと思われます。逼迫する地方自治体の財政建て直しには、ちょうど銀行の合併がつぎつぎ実施されるように、経営基盤の強化をはかるという理屈かと思われます。正直、私個人にとって、銀行がつぶれたところで、痛くもかゆくもないので、銀行の話は置いておきます。

 しかし、行政機関が行き詰まっては困ります。ですから憂慮するのですが、構造改革なしに合併は、たんなる問題の先送りであり、近い将来、同じ形で財政問題が再燃することは避けられないだろうと思います。

行政を身近なものに

 だれもが願うところでしょう。

 そのためには、単位を小さくする方が望ましいはず。大きな組織と、小さな組織、お年寄りや体の不自由な方々の声が届きやすいのはどちらでしょうか? 現在の行政機関も、じゅうぶん住民の声に耳を傾けているとはいいがたい。それは、行政のありようにこそ問題があるのであって、簡素化できる部分をとことん簡素化し、「人」に対してこそ、仕事の多くの部分を振り向けるべきではないでしょうか。そのためには、合併どころか、もっともっと行政単位を小さくしてもいいぐらいだと思います。

地域アイデンティティ

 「ふるさと」意識の大切さは、年々強調されています。いっぽう、「グローバル」な意識も、年々強調されています。「個」か「全体」か、という相容れないテーマのようにも見えますが、じつは、同じことであると、私は考えます。

 人間の社会は、「均一、等質な全体」はあり得ないことです。様々な個性をもった「個」がつながりあい、認め合うことでこそ、「調和のとれた全体」が成り立つはずです。対立、排除、否定こそ、「個」とも「全体」とも矛盾しています。「個」がアイデンティティをしっかり持つことこそ、「全体」をよりよいものにしていくのではないでしょうか。町村合併は、「個」のアイデンティティを守りますか?

時代はインターネット

 さてさて、私は上の文章において、「行政の構造改革」という表現を繰り返してきましたが、「構造改革」って、何でしょう?

 現在の行政が抱える諸問題は、もはや放置できないレベルにまでいってしまっているでしょう。行政担当者にも責任がありますが、われわれ住民も責任はまぬがれません。行政にまかせっきりで文句を言うだけ、あるいは、御上(おかみ)がなんとかしてくれる的な生き方は、そろそろやめましょう。

 行政は、情報をどんどん公開すべきです。住民は、自主的に、主体性をもって、行政が公開する情報を受け止めていくべきです。否、受け止めるだけではなく、さらなる情報公開を促していくべきでしょう。

 行政と住民は、対立してはいけません。パートナーシップを築きあげるよう、努力するべきです。そのためにも、行政単位は大きすぎない方がいい。行政と住民がパートナーシップを築き上げるツールとして、インターネットはもってこいでしょう。

IT(Information Technology)革命

 IT革命により、行政の仕事がおおいに簡素化、省力化されることがみこまれます。それは、縦割り行政を否定することにもつながるでしょう。行政内の各部署が持つ情報を共有することによるメリットは計り知れないものがあります。定型書類を作ることや手続きを実行することや書類の整理に多大な労力を割くのは、ばかげたナンセンスです。こんなことが財政逼迫の一因であるとしたら、許し難い怠慢です。とはいうものの、こう言っちゃなんですが、古い体質がしみついたお偉いさんが、にゅうてくのろじーを取り入れていくのは至難の業かも知れません。

 だが、私たちは、悲観するに及ばないでしょう。時代は、IT革命。たかだか、行政機関が抵抗できる流れではありません。旧を守る体質には、相応のしっぺ返しがやってくるでしょう。

本当のIT革命は

 テクノロジーの問題で、話を終えてはいけません。テクノロジーはしょせんテクノロジーであって、技術革新ではあっても、革命ではありません。インターネットを数年続けてこられた方は、ひしひし実感されているでしょう。インターネットが、世界レベルで人間関係を変え、社会構造を変えうる、いや、怖ろしい速度で変えつつあることを。

 インターネットは、個人の属性(性別、肩書き、学歴、所得、外見)をあまり問題にしません。個人のアイデンティティが重要な要素となります。そして、国境も、あまり問題となりません。問題なのは、言葉の壁だけで、インターネット上に国境を設けようがありません。まさしく、「個のアイデンティティ」と「グローバル」が両立した世界と言えるかと思います。

 これまで、絶対的な隔たりのあった、行政対個人、企業対個人が、見る見るうちに差が縮まっていきます。インターネットを通じて発信する情報を見てみましょう。行政や企業は、質・量ともにすぐれた情報を発信していると言えるでしょうか? 逆に、これまで情報を発信する手段をもてないでいた個々人は、いかに魅力的な情報を発信しているでしょうか。もっとも、インターネットにも弊害や問題は続出していますし、個々人の情報も賛美一筋とはいきませんが。

けっきょく町村合併は

 IT革命が進行中でないなら、町村合併による延命措置(と私は考えます)も、大いなる選択肢となるでしょう。そしてまた、IT革命の進行がのんびりなら、やはり延命措置が必要となるでしょう。

 個人的な予想として、町村合併の進行よりも、IT革命の進行の方が早く、町村合併の大部分は実現しないで終わると思っています。ですから、あえて「反対」を声高々に宣言する必要もないだろうと考えます。

 ピラミッドのごとき縦型階層社会は、急速に水平ネットワーク型社会へと変容を迫られるでしょう。ピラミッドであり続けようとする行政機関、企業などは、もしも生き残ることができたら、歴史的重要文化財、いや、世界遺産に指定してもいいかと思います。もっとも、そのまえに、ほぼ淘汰されてしまうでしょうが。

私たちのとるべき道は

 これからの私たちにとって、新しい技術の習得は、大切な課題です。

 しかし、ここでも私は、「待った」をかけます。ハードやソフトの進化には、あるところで天井が来ます。例えば、テレビの進化を考えてみましょう。カラー映像があるていどきれいに映るレベルまでは、消費者は進化を望みます。でも、それ以降はどうでしょうか? チャンネルがタッチになったり、リモコン操作になったり、音声多重になったりと、様々に進化していますが、消費者にとっては、積極的にテレビを買い換えるほど重要な進化ではないはずです。電子メールを考えてみましょう。いまのメーラに、どんな進化を望みますか? メールはテキストであるが故に、多くの情報をスピーディに処理できます。音声や画像がメールに含まれたら、処理できる情報ががたんと落ちるはず。機械が進化しても、人間の能力は、そう変わりません。電子メールに必要な機能が満たされたら、その後の進化は、必要度の低いものであるか、ヘタをすると情報の取り扱いに邪魔なものとなりかねません。

 ハードやソフトの進化を永遠に追い続けなければいけないものではなく、私たちが追求すべきは、情報そのものの扱い方であったり、そこから付随して起きる社会構造の変化に立ち向かうことではないかと考えます。現時点でのIT革命は、主として技術面で語られることが多いですが、むしろ、「個」と「全体」の在り方そのものこそ、IT革命の神髄でありましょう。

 地方自治の問題も、この視点でとらえたいと思います。私が町村合併に反対するのは、現状維持や保守を望むからではなく、真に実効性のある改革を望むからなのです。

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