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名 前 | 内藤 浩哉 (モモ) |
| 現住所 | 京都府相楽郡南山城村童仙房 | |
| 家 族 | 妻、子4人(11歳男、8歳女、6歳女、3歳女) | |
| 仕 事 | どたんば中 | |
| 出 身 | 大阪府吹田市(千里ニュータウン) | |
| 生まれた年 | 昭和39年(1964) | |
| 経 歴 | 下記参照 | |
| 経歴詳細 | 相楽ねっとのあちこちに書いてます | |
| 田舎暮らし歴 | 20年 |
日本で初めての大規模ニュータウンと言えば、大阪府の千里ニュータウンです。竹藪だった原野を開拓して大きな街を作りました。街開きは昭和37年(1962)。私が生まれたのは昭和39年。生まれて間もなく、千里ニュータウンの団地へ第一期として入居しました。
伝統も文化も何もないこの地。あちこちから集まった人々が、新しいコミュニティを作り始めました。
昭和45年の千里万博では、アメリカの月の石も展示され、街が一変しました。そして、同年、私を産んだ母は、2年半の闘病の後、永眠。私、6歳。
ニュータウン内の高校を卒業した後、京都大学文学部に現役合格。京都市内で一人暮らしを始め、学生時代、自転車で野宿しながら四国や能登へ行き、19歳で西日本一周。バイクも大好きで、限定解除(750CCに乗れる免許)をなしとげ、ナナハンとオフロードにのめり込む。オフロードバイクの耐久レースにたびたび出場。もちろん(?)骨折、救急車、入院も経験。

バブル最盛期だったが、世の中の狂気を感じ、バブルの波に乗らずに小さな出版社へ学生時代から就職。編集を3年勤め(激務!!)、体をこわして退職。
人生をリセットしようと、放浪したのが、平成2年(1990)、26歳。どこへ行っても相手にされず、たどりついたのが、京都府唯一の村、南山城村。商工会で熱い歓迎を受け、感動しました。なんと、温かい村!!
そのまま、ふらっと山の上へ通じる道をバイクであがり始め、とうてい人が住んでいそうに見えない心細い山道を登りに登って、たどいついたが桃源郷、ではなくて、童仙房(どうせんぼう)。
こんな山の上に平らな集落があるなんて・・・
道の向こうから来た小学生のあまりに素朴で快活で素直で人なつこさにびっくりぎょうてん。いまどき、こんな子どもたちが日本にいるなんて!!!
ここは何なんだ????????
こういう子が育つ地はすばらしいところに違いない。おっしゃあああ! ここに住も!
足繁く童仙房へ通い、だんだん地元の人たちと顔見知りとなり、童仙房についてもわかってきました。明治時代以降の開拓地。田舎なのに、わずか120年ほどの歴史しかありません。いちばん古い家でも、六代ほどの歴史です。
わーお!!! いいじゃないの!!!
都市の開拓地で育った私は、今度は田舎の開拓地へ。
開拓人生ばんざーい!!!
平成4年(1992)から、童仙房に住み始めました。独身でね。仕事? 土方っすよ。あと、近所の中高生に勉強教えたりとか。1996年からインターネットを始めたけど、まわりで誰もやってなかったんで、「いんたねっと?なにそれ?畑でとれるもんか?」ってな感じで。
メーリングリストでであった女の子をアナログ回線でダウンロード。(正確に表現すると、MLで知り合ってメールでおつきあいし、1999年に結婚)(いわゆる「ネット婚」です)
結婚した年に骨髄移植のドナーとなって、見知らぬ人に骨髄を提供させていただき、その後すぐ、童仙房内で最初の転居。1人目(男)が生まれてすぐ、童仙房内で古民家を自力で改修し、転居。そして、3人女の子が生まれ、今や、4人のパパです。
さてさて、妻は、ある人から、「ダンナさんはギャンブルとかバクチとかしないの?」と聞かれ、こう答えました。「ぜんぜんしないよ。人生がバクチだし」
自分の人生は、常に自分が選択してきました。今、田舎に住んでいるのも、自分の選択です。なにかに縛られてとか、しがらみとか、そんなものはありません。常に私は、私の人生の主役です。被害者でも脇役でもありません。