鶏の解体



過日、偶然にも鶏の解体を見せていただく機会があった。普段の生活ではめったに
お目にかかれない内容だ。
昔なら、農家などでは自宅で飼っていた鶏をさばくことは日常の光景の中にあった
ことであろう。が、今の時代、自分が食べている肉の解体をしているところなど
見られる機会など簡単にないし、そういう職業があるってことさえ、忘れられて
しまっているように思う。


実際に鶏の解体をみてみて、殺すところは直接は見なかったのだが、残酷さよりも
鶏をさばいている人の手際の良さに感心してしまった。(もちろんこの人は農家の人です)
毛を剥いでいくのには、剥ぐ前にお湯に一度つけてからの方が剥ぎやすいという
ことや、人間の手では取りきれない短い毛は、ワラに火をつけたもので軽くあぶる
とキレイにとれ、味も香ばしくなるということなど・・、昔からの人間の知恵を頷き
ながら聞いていた。それと、かわいそうという気持ちよりも、”地鶏の肉はおいしそ〜”
という気持ちの方が、素直にあった。



それよりもなによりも、なんだか「命」というものや「食べる」ということについて、
また、いろいろと考えさせられた。
私たちが常日頃食べている肉は人間が食べるためだけに養殖されているものも少なく
ないはず。なのに、多くの人たちが、スーパーで買ってきた肉や外食をした際にでて
くる肉の出所などはほとんど知る由もないし、どうやって解体されてきたのかなんて
考えながら食べる人などほとんどいないだろう。もちろん、そういうことが気になって
肉食をやめた人や動物を殺してまで肉はいらないと思う人もいるかもしれない。


でもね、私の場合は「かわいそうだから、もう肉を食べるのはやめる」とか
「人間が生きていくために動物の肉を食べることも仕方がない」とか、
そういうふうな気持ちだけではないと思うんだなぁ。



人間がしている残酷なことなんて、食肉以外にもいくらでもあるわけで、たとえ肉を
を食べることをやめたからと言って、ではあなたは何も残酷なことはしていないのですか?
というと、毎日ゴミを出していたり、車や電車にのっていたり、テレビやパソコンを
ずーっとつけていたり、洗剤やシャンプーを思いっきり使っていたり、、だとしたら、
「ではそれらは地球に対して残酷なことではないのですか?」と思う私がいたり、
そうかといって人間が生きていくために、動物を殺すことも、地球を汚すことも仕方の
ないこと、とは言えない私がいたりするのだなぁ・・・



私はそういういろんな気持ちを人間はもちながら生きていて、だからそのために亡く
なってしまった命に対しては感謝したいし、食べ物に関していえば、できるだけ
”おいしい”という気持ちで頂きたいと思う。
肝心なのは食べる人の「頂きます」って気持ちなのではないのかなぁ〜、って思う。
もちろん、だからといってなんでもかんでも殺したり害を与えていいという訳ではない。
自分が食べられる分の量を、自分が望む食材を選んで、無駄を出さないようにしていく
ことも大切なことではないかな。。


人間はいろんな矛盾を抱えて生きているんだなぁ〜っていうことを鶏の解体を通し
しみじみ感じた。



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