生と死



一般的に「死」というと、マイナスや否定的なイメージにとられることが多いと思う。
確かに、自分に直接かかわる人の死というものは、相当にショックだろうし、
なかなかその事実を受け入れることはできず、悲しみの底に沈み、こころの病に
かかる人もいるかもしれない。


私自身、直接「死」という問題と直面したのは、もう成人も過ぎて社会人に
なりたての頃の二人の死だった。
一人は私の母の兄である伯父の死、もう一人は高校の時の同級生の死だった。


伯父は不運にも交通事故で亡くなり、60歳は過ぎていたがあいにく独身のため、
私の母が葬儀や加害者との交渉、亡くなった後の家の整理などをおおかたしていた。
母は伯父が亡くなる数日前に会っており、本当に突然の死だった。
私は身内の葬儀に出席すること自体がはじめての経験だったので、悲しみよりも
好奇心の方が強かったと思う。しかし、実際に棺の中で眠っているような伯父の
顔をみたとたん、涙がぐっとこみあげてきた。それに、火葬場でお骨をひろった
時に、いいようもない気持ちにおそわれた。
「死って、さっきまで在ったものが無くなってしまうことなんだなぁ〜・・・」


同級生の死は、病気が原因のようだった。手術をすれば50%は助かるといわれ
るような病気で、手術をした結果、残念ながら助からない方になってしまった
とのことだった。私は高校卒業後は特にその同級生とは疎遠だったが、
まだ二十歳を過ぎたばかりの若い男の子の死というものは、なんともいわず
悔やみきれないものだった。
残された親御さんはどんな思いがしたのだろうか。
これからを楽しみにしていた彼自身もどんな思いで死んでいったのだろうか。。。


わたしはこの二つの死をとおして、
「自分は悔いのないように生きよう。いつ死んでも後悔しないように生きなくっちゃ」
とつくづく思うようになった。


そして、今回、私自身流産を通してごく身近に、死というものを経験した。
わずか9週でも私のおなかの中で生きていた赤ちゃんの存在はとっても
大きなものになった。
だって、今までならこんなに悲しい思いをしている人がいるんだなんて、
表面的にはわかっても実際には想像できなかったし、同情はできても結局は
他人事のように感じていただけだろう。
しかし、今なら、子供を亡くされた親御さんの気持ちやごく親しい身内を
亡くした人の気持ちも少しはわかるような気がする・・・。


たった一つの命だけれど、受精してから無事に赤ちゃんとして生まれてきて、
順調に成長し、時とともに老いて亡くなっていくということ自体がすごいことなんだ〜
としみじみ感じる。
こうやってのうのうと生きている自分自身、すごい確率で生まれてきて、
ここまでたいした病気もせずに生きてきたのは、すごいことなのかもしれない。


せっかく授かった命が亡くなってしまったのはとても悲しいことだったが、
とってもたくさんの大切なことを教わった。
無事に産んであげることはできなかったけど、私に大切なことを
教えにきてくれてありがとう。
死をとおしていろんなことを教えてくれた人たちにありがとう。


生まれてくることも死んでゆくことも同じくらいステキなことかもしれないんだね。




もどる