(3) おまけ 4人目出産記

妊娠出産は何度経験してもミラクル☆彡4人目出産で思わぬ事態に陥った私たち家族の運命は…


一人目二人目は個人病院で、
三人目は助産院での出産を経験した私。
そして四人目も助産院でてっきり産むつもりでいたんだけれど・・・、
妊娠9ヵ月目に思いも寄らぬ総合病院での緊急入院がはじまった。。。


■32週(12月第1週) 切迫早産で緊急入院。

妊娠後期の検査に助産院の嘱託医に行く。子宮口がすでに3センチ開いていて赤ちゃんも予定週数より2週間くらい小さめだし何より逆子なので至急入院した方がいいと言われる。【4人目で逆子だし、この状態のまま陣痛がついたり破水してしまったら、病院に移動するまでの間に、赤ちゃんの命に何かあっても保証できない・・と言われる。】

そこで家から車で50分くらいの総合病院を紹介してもらう。が、一つ目に紹介された病院では「(もし今すぐに赤ちゃんが生まれてしまっても治療できる設備がないので)受け入れられない」と言われ、赤ちゃんの大きさからしてNICU(新生児集中治療室)のある病院をふたたび紹介してもらう。
そして、二つ目に紹介された(私が今まで生きてきてかかったことのないほどの)大きな総合病院で、いつ退院できるかわからない状態のまま、結局出産するまで1ヵ月ちょっと過ごすこととなった。おなかの赤ちゃんと私、それに家に残してきた3人の子どもたちと旦那さんは一体どうなるんだろう・・・。

入院してから24時間ウテメリンの点滴生活開始。トイレに行くのと1日おきくらいにシャワーできる以外は3食おやつ付きの寝たきり生活。この生活続けていたら太っていくかも・・なんて心配は無用らしい。看護師さん曰く、「切迫で入院している人たちはストレスからか、どんどん痩せていく」って言ってたのが、後々忘れられない言葉になる。

一体いつになったら退院できるのかな。入院し始めの頃、逆子が治れば35週くらいには退院できるかも・・と担当医に言われるが、外回転術をしてもらっても逆子治らず。とにかく様子をみることに。。あぁ退屈・・・。おなかの赤ちゃんのことを思うと不安になるし、家にいる家族のことを思うと心配でおちおち眠れもしない。。おまけに病室内は温室のように暖かいけど、空調で空気が乾燥していて、なかなか寝付けにくい。入院した直後は夜になると泣いてばかりいた。


■35週(12月第4週) 気持ちは帝王切開に。

34週の診察で、このまま逆子が治らなければ、37週以降に帝王切開にするか、4人目だし昼間スタッフが多い時に誘発分娩にすれば下から生むことも可能という話を聞く。正月明けに分娩方法を決めることに・・。クリスマスはもちろんだったけど、年末年始も家に帰れないことが確定した。。

この時点で赤ちゃんの命の安全が一番だったけど、私は一刻も早く家に帰りたかったので、出産方法はぶっちゃけどちらでもよかった。というか、3人目の時、助産院でフリースタイル出産を経験していたので、今更分娩台にしばられて多くのスタッフに見守られつつ陣痛促進剤を使って誘発分娩するくらいなら帝王切開の方がいい・・と覚悟を決めていた。旦那さんともよく相談して、とにかくおなかの子の命が最優先と、私たちの気持ちはほぼ帝王切開に決まった。

おなかの子は性別がわかる頃から逆子。三陰交のお灸や話しかけもしたけれど、
逆子が治る気配は一向になかった。ここまで逆子なのには赤ちゃん側に何か理由があるのかな?へその緒が短かったり、体に巻き付いていたりして??とかいろいろと考えてみるけど結局わからない。不安な方に思おうと思えばいくらでも思えてくる。


■36週(1月第1週) 家族の疲労がピーク。

病院で年を越すことになった年始、正月休みのため旦那さんが子どもたちを連れて何回か見舞いに来てくれた。1月の2週目には37週(正期産)に入るけど、 そこですぐに出産できなければ、入院費用のことも気になってくるし、何より旦那さんが仕事に集中できなくてしんどいと・・。すでに入院して1ヵ月が経とうとしている。旦那さんに子どもたち、それに助けてもらっている両祖父母たちにも相当な負担がかかってきているはず。家族が1人でも長期入院となると、他の家族にかかる負担も相当にたいへんなんだなーって今更ながら身にしみてわかる。

そんな中、年が変わった頃から私のお腹も頻繁に張るようになってきた。4日にはオリモノに薄い茶色のモノがまじってきたりして、正月明け(1/7)の診察を5日に繰り上げようと担当医から言われる。これで、出産する日も決められる・・と安心した1/5の夜中、お腹がまたしても頻繁に張るので、ナースコールで看護師さんをよんだ。


■逆子でも自然分娩 ?!

分娩監視装置(モニター)をつけられるが、その間も、おなかの痛みは変わらない。途中でナースステーションの前の緊急入院用の部屋へベッドごと移動。ここで、(たぶんアルバイトの)当直医に内診してもらうと、すでに子宮口が6センチ開いていた。私はあくまでも「(帝王切開を)お願いします・・」とお腹の痛みをこらえながらお願いするが、当直医も(ここの病院に入院してからお世話になっている顔見知りの)助産師も困ったような様子。。

とりあえず、手術室の準備をしている間、病院の方から自宅に連絡を入れてくれたり、私も再び分娩室に移動して待機する。この時点ではまだウテメリンの点滴をしていたが、陣痛の痛みは点滴の量を増やしたので間延びはするものの、痛みは増していく(あとで助産師さんに聞いたけど、ウテメリンの点滴をしていても本物の陣痛がきたら、本物の陣痛の方が強い、と言われた)。どうせ帝王切開するのなら、陣痛の痛みは経験したくなかったな・・とか、帝王切開なのに陣痛の痛みも経験できてラッキーだな・・とか頭の中は混乱気味の私。。。

もう一人(担当医ではない)この病院の産科医が駆けつけてくれたのだが、その医師も「帝王切開にするのにも準備に時間があと30分くらいはかかるし、手術室に移動する間に(この状態では)生まれてきちゃうかもよ・・」と言われる。緊急帝王切開だったらどないすんねん!!と心の中で突っ込みつつ、「安全なのは?」と私が聞くと、「どっちもどっち」だって。。。

気持ちはすっかり帝王切開と決めていたのに、このどたんばにきて、自然分娩とは・・。赤ちゃんは逆子のまま下から生まれたきたいんだ・・・、だったら、もう最悪何がおきようとも赤ちゃんの気持ちにかけるしかない。そう思って「(このまま自然分娩で)ここで産みます!!」と宣言すると、ぼそっと「そっちの方がいいと思う・・」っと当直医も言ってくれた。下からでかかっているのに、切って無理やりだそうとしたら、その方が危ないって。

この時にはすでに子宮口全開。「痛みが来たらそのままいきんで!!」と医師に言われ、4.5回いきむと、今までの私の迷い?苦しみ?はなんだったんだろう・・と思うくらい、ずる、ずる、ずる・・・とあっけなく赤ちゃんがでてきた。赤ちゃんの状態を確かめると、泣き声も聞こえてくるし、元気らしいのがわかった。今まで4回お産してるけど、まるで他人事のようで”夢を見ているみたい・・”ってはじめて思った。


■奇跡の連続

私はすっかり医師がひっぱりだしてくれたのだと思っていたら、後からお産に立ちあった助産師さんに聞いたところ、「赤ちゃんがあっという間に自分からでてきていたよ。先生が手伝ったのは最後、頭がでる時にお腹をぽこっと押したのだけ」と教えてくれた。たしかに頭がでるときに(私の)お腹を押されたのは覚えていたんだけど、出てくるときは自分1人の力でできていたんだね・・・。

結局、分娩所要時間は約3時間半の安産(ウテメリンの点滴がなかったらもっと早くに陣痛も進んでいたと思う)。生まれてきた時の体重も36週と5日で早産にもかかわらず、2670グラム。一人目が生まれたときは予定日丁度で2600グラムくらいだったから、早産でこの成長具合はうちの子たちの中では上出来ではないか。
病院での安静生活と病院食(+パソコンなし生活がよかったのかな・笑)でここまで成長できたんだね・・。

逆子でも自然と陣痛がついて(会陰に傷もつかず)下から生まれてきたのも、早産でも2500グラム以上あったのも、お産自体が予想していたものよりもずっと楽だったのも、入院費用が(切迫早産でも逆子だったので予想していたのよりも)最低限の費用で済んだのも、私たちが想像して予定していた日よりも早く退院できたのも、すべてが”奇跡”。
出産後、看護師さんの1人から「スタッフが少ない時でよかったね。昼間だったら切られていたと思う・・」と言われた。確かに、手術する日を明日決めよう・・と担当医と話していた矢先、日付が変わったとたんにあわててでてきた赤ちゃん。自分ででてくるタイミングをちゃんと決めていたのね。。。逆子で早産だったらどのみち助産院での出産は無理だったから、安心できる総合病院で入院できて出産できたのも、すべて赤ちゃんはわかっていたのかな。。と今なら思える。


■赤ちゃんは天からの贈り物

上の子たちのように家族に囲まれてのお産ではなかったけれど、自然なお産というよりか現代医療にだいぶ助けられたお産になったけれども、結果的に見たらすべて最善の巡り合わせで出産できたのは、神の力?天の力?自分たちだけではどうしようもできない宇宙の力で出産させてもらったような気がする。

今回、何事もなく3人目のように順調にすすんでお産していたら、5人目6人目・・と気軽に思っていただろうけど、この経験で、たいへんな思いをしてお産している妊婦さんたちもいるって知ることができたし(実際同じ部屋に入院している人の中には2.3ヵ月入院している人もいた)、周りの助けがなかったらどうなっているかわからなかったし、今の当たり前の状況が一番幸せなんだな・・って身にしみて感じることができた。

それに子どもたちもそれぞれにママのいない状況を乗り越えて、家族にとっては(たったの1ヵ月でも)厳しい試練だったけど、貴重な経験をさせてもらったなーってしみじみ思う。もう二度と同じ経験はしたくないのが本音だけどネ!!




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