京都府に、ひとつだけ、村があります。南の端っこで、三重県、奈良県、滋賀県に接しています。その南山城村に、童仙房という集落があります。標高400から500メートルの高原です。
童仙房は、日本の国の中にあって、なんだか時間の流れも大気も地面もちがっているような、不思議空間です。童仙房は、ほぼ山の頂上ですから、流れる水はどれもこれもが、源流です。童仙房には、250人ほど住んでいます。
童仙房の、北部の森を、仙の森と言います。不思議な童仙房の中でも、さらに不思議がぎっしり詰まった森です。
「森」というと、特別な装備が必要であるとか、特別な技術や経験が必要だとか、遭難したらどうするんだとか、熊に出会ったらどうするんだとか、とにかく一般人の手に負えるものではないと思われがちです。
仙の森はとても「お手軽な森」です。周囲がぐるりと普通の道で囲まれています。その範囲は、およそ1km四方です。その中に、実に豊かでおもしろい森があります。
この森の、どこにいても、10〜20分歩けば、かならずどこかに出ます。「遭難」はあり得ません。このエリア内に、断崖、絶壁などはありません。3歳以上の、自分の足で歩ける方なら、どなたでも森歩きを楽しめます。
なんだ、ちっぽけな山じゃないか、と笑うのは、お待ち下さい。これにはじつは、からくりがあります。
木津川と国道163号線が、標高50〜80メートルぐらいにあります。この付近に集落や公共機関や店舗・事業所などが並んでいます。童仙房は、うんと登った450メートル付近にあります。その間には集落はありません。国道から童仙房まで、自動車が走る道路が整備されています。
仙の森というのは、高い山の頂上付近のことであり、ふつうはそんなところへ人間はなかなか近づけないものですが、頂上近くに集落があって、人間がふつうに日常生活をしているのです。仙の森を囲む道は、私たちのふつうの生活路です。童仙房の人たちは、最近ではめったに山に入らなくなりました。
仙の森が、神秘な森でありながら、お手軽な森であるというからくりがおわかりいただけましたでしょうか。
この森には、熊はいません。猿もいません。それ以外の里山に住む動物はたいがい何でもいます。イノシシやシカもいますが、人間を怖がるので、人が歩く森からは逃げてしまいます。危険があるとすれば、蜂とマムシです。蜂もマムシも、人間がいたずらをしない限り、むやみに襲っては来ません。
仙の森は、あまり広くない閉ざされた空間ですが、その中にはじつにもりだくさんのコンテンツがあります。
森を囲う道の外側ですが、冒険心をくすぐる渓谷巡りもいいです。童仙房地区は、隣の野殿地区と一緒に、京都大学大学院教育学研究科と連携して生涯学習活動をおこなってます。
森を歩くのは、とても気持ちのよいことです。長年、落ち葉がつもり、土がふかふかになっています。アスファルトやコンクリートの上を1時間も歩くと足がだるくなり、疲れてきますが、森はそうではありません。1時間くらい歩いても、あまり疲れた気がしないのは、不思議です。体中の毒素や悪いものが、溶けていくように感じます。
体だけではありません。心も軽く、晴れ晴れとしてきます。日常のストレスや悩み、迷い、不安などが、いつのまにやら、溶けていくように感じます。
森は、心や体の重荷を溶解してしまう、不思議な力を持っています。
「仙の森」は、童仙房という地名からきたものですが、仙というのは、不思議な漢字です。人と、山。あまりにありきたりな2文字です。ところが、「仙」の字は、日常生活では、まず使いません。仙人、仙郷、仙道、仙薬・・・。仙という字には、神秘や不思議が込めれています。
人と山の関わりは、不思議なものです。山に適切に人の手が入ることで、生態系が豊かになり、山が元気になっていきます。人も、山に入ることで、悪いものが溶解し、元気になり、活力に満ちてきます。
仙の森は、そういう森の働きを、さらに享受できるよう、座禅、渓谷、異文化交流、元気な食を組み合わせています。
では、仙の森に何があるか、もう少しじっくり見ていきましょう。こちらへ。